橋爪教授によると、大阪万博のパビリオンがどこに移築されたのか、最初の手掛かりは「日本万国博覧会公式記録 第1巻」だった。そこには、各地に移設されたパビリオンのリスト(1971年12月時点の情報)があったという。
このリストには計23棟が掲載され、遊園地などの休憩所、レストランなどとして利用された事例が多いことがわかった。一方、名古屋市の東山動物園に移されたロスアンゼルス市館(現在は撤去)など、国際交流を目的とする公共施設に転じた例も紹介。

大半のパビリオンが各地へ移築されたが、50年以上経った今、老朽化や風水害など、さまざまな理由でその多くが取り壊されている。



現存するのは、万博記念公園内では▼鉄鋼館(EXPO’70パビリオン)▼日本民藝館(大阪日本民芸館)、各地へ移設されたものとして▼ラオス館(長野県諏訪市・昭和寺)▼カンボジア館(神戸市北区・広陵町自治会館)▼ミュンヘン市館(岡山県奈義町・陸上自衛隊日本原駐屯地の施設)▼サンヨー館(カナダ・バンクーバー ブリティッシュ・コロンビア大学図書館)の6館にすぎない(太陽の塔を除く)。




その後の状況がわからないケースもある。兵庫県尼崎市は、で使用されたベネズエラ・ドミニカ・モーリシャスのパビリオン3館を譲り受け、同県三日月町(現在・佐用町)の老人ホームに転用された記述はあるが、詳細は判明していない。
またブルガリア館は、同国の首都・ソフィア市に移送して国際博覧会に初出展したことを記念して施設にする旨が記載されている。実際に資材は本国に輸送されたが、用地と財源の確保がうまくいかず、記念館は実現しなかったとみられ、運んだ部材の行方がわからないケースもあった。このほか、ウガンダ館の移設計画が白紙になったエピソードも記されている。
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