西宮市(兵庫県)の高級住宅街・甲陽園。関西在住ならば「西宮七園」と聞いて、いくつ思いつくだろう。名前が浮かぶのは、甲子園、甲陽園、苦楽園、香櫨園、甲東園、昭和園、甲風園といった順だろうか。六甲山麓を舞台に、1900年代~1930年代に芸術文化が花開いた、神戸でも大阪でもない阪神間。「阪神間モダニズム」が生まれた甲陽園。
1965(昭和40)年、当時15歳の少年が九州・宮崎を出た。4000円だけ握りしめて汽車に乗った。最初は東京の運送会社へ。そしてはるばる関西にたどり着く。その後洋菓子の道に進み、甲陽園に妻と2人で小さなお菓子工房を開く。「ツマガリ」と聞くと、関西のスイーツ好きはピンとくるのではないだろうか。
オーナーパティシエ・津曲孝さん(70)。山の手の住宅街に響くハスキーな声と、故郷・宮崎の方言。「私と甲陽園は似ても似つかわんね」と笑う瞳は優しい。クッキーの繊細な甘み、くちどけの柔らかいホイップ、商品の洒落たネーミング。2020年、新型コロナウイルスの影響で巣ごもり需要が高まったのもあり、「ツマガリ」の洋菓子は季節を問わず売り上げを落とすことはなかった。でも理由はそれだけではない。
幼いころに両親と離別、祖母に育てられた。中学を卒業した後、運送会社に入った津曲さんがケーキやクッキーと出会ったのは知人の紹介。
「洋菓子、なんて言葉も知らなかったですよ。田舎じゃ貧乏生活で食べ物がない。海で獲った魚を海水塩を下味にそのまま焼いたり、山のものならツワブキ、ノビル、ウド、ヤマイモを食す。これが自然の味覚なんです。決してヨーロッパかぶれはしていない!素材の味を引き出す、持ち味を活かす。まぁ、これが後に人の持ち味を活かすことにつながるんですね」
菓子職人としての道を進むことになった津曲さんは、1972(昭和47)年、洋菓子製造・エーデルワイス(尼崎市発祥、現在の本社は神戸市)に入社後、数々のコンテストに優勝し、1980(昭和55)年には取締役製造本部長、さらにエーデルワイスの別事業部門・アンテノール代表取締役社長にも就任。
「エーデルワイスに入ってしばらく経ったころ、26歳でスイスへ留学させてもらいました。スイスはドイツ語を使うんですよ。いやぁ、ドイツ語は難しい。スペルが書けない。だから私はお菓子の材料の配合が書けない。そこで現地のパティシエ仲間に切腹の真似をしたんです。『日本に帰って配合が書けなかったら死ぬ。助けてくれ!』と。そうしたら配合のすべてを一冊書いてくれました。スイスから帰国してアンテノールを作ったんですが、その配合を記した帳面がアンテノールを助けてくれたんです」。そして津曲さんはパティシエとしてさらなる飛躍を遂げる。