26年目の1.17を迎える。生かされた私たちは、この1月17日にこの先も度重なるであろう災害とどう向き合うのか、記憶の風化を緩めるために何を伝えてゆくべきなのか、またいかにして、つらく悲しい経験を語り継ぎ、助け合い、励まし合った記憶をつないでいくのかを考える日となる。震災後、被災地で生まれた世代が羽ばたく。「ラジトピ」では阪神・淡路大震災、ポスト四半世紀にかける思いを書道家と能楽師、2人の女性に聞いた。
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書道家・繁本香菜さん(24)は震災翌年、1996(平成8)年4月に神戸市長田区で生まれた。この年、4月に「そごう神戸店(神戸市中央区・現在は神戸阪急)」が全面再開、6月には神戸東部新都心(HAT神戸 神戸市中央区・灘区)の建設が始まった。7月には2年ぶりに神戸まつりが復活し、8~9月に被災地内の交通規制が全面解除、阪神高速道路神戸線が全線開通といった復興への槌音が聞こえた年でもあった。そして被災地に大きな希望をもたらしたのは、プロ野球・オリックスブルーウェーブ(当時)が日本シリーズを制し、サッカー・ヴィッセル神戸がJリーグ昇格というスポーツの話題だった。
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■『書』は耳コピならぬ「字コピ」で…
小学校2年生のとき、神戸市の書き初め大会で入選し、母親の勧めで習字教室に通うようになったことが書を本格的に始めたきっかけです。幼少期から書く能力が高く、小学生の時はクラスメイトの字の特徴を目で分析して暗記して、紙に書くことができていました。耳コピならぬ「字コピ」とでも言うのでしょうか。負けず嫌いの私は自分が活躍できるフィールドで勝負したいと思い、書を継続することを決意しました。兵庫県立兵庫高校では書道部に入部、よく「弘法も筆のあやまり」と言いますが、私は当時何のことかわかりませんでした。でもその後、書道部で弘法大師・空海の書を見て、その芸術的評価と「弘法も~」の意味がわかり、その先も本格的に芸術としての書道を学びたいと思い、奈良教育大学の書道科に進みました。
■荒廃した被災地、徐々に復興が形に見えるようになった阪神・淡路大震災の翌年に生まれた