未曾有の被害をもたらした「東日本大震災」から10年。これに先立つ2月13日夜には、福島県沖を震源とするマグニチュード(M)7.3の地震があり、最大震度6強を観測。10年経過しての『余震』に、人々は驚いた。地質や地震の研究を続ける日本地震学会会員の西影裕一さん(兵庫県姫路市在住)は、2011年3月11日に起きた東日本大震災の被災地へ何度も足を踏み入れ、後世に残すため無心に写真を撮り続けた。
阪神・淡路大震災と東日本大震災、この2つの震災で撮りためた写真は1万枚にものぼる。これらの画像が訴えるものは何か。西影さんに当時を振り返ってもらい、私たちにとってどのような災害対策が必要なのかを聞いた。<記事中の写真撮影・提供 西影裕一さん>
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あの時見た光景はまさに地獄絵図だった。それまで、いつもと変わらない生活を送っていた人々の人生は暗転した。10年前のことを思い出そうとして当時撮影した写真を見ると、走馬灯のごとく当時の光景が目に浮かぶ。
そもそも、私が被災地・東北に行ったのは、阪神・淡路大震災でのボランティア経験(当時は兵庫県教育委員会に在籍し、西宮市内の小学校で救援活動)があり、東北でもボランティアをしようと思ったからであった。JR仙台駅に着くと駅舎でボランティアの受付をしていたのだが、すでに人員がいっぱいのためお断りということだった。ならば調査に行こうと思い仙台空港方面(宮城県名取市)へ。これをきっかけに計11回調査に行くことになる。レンタカーを借り、1回の(2泊3日)滞在で200~300㎞も走行していた。その間に撮影した写真は膨大な数にのぼる。