神戸に生まれ、西宮に住んだ作曲家・指揮者として、戦前にボストンとパリで活躍、高く評価されながら、戦後若くしてこの世を去った大澤壽人(おおさわ・ひさと 1906~53年)。
没後半世紀以上忘れ去られた存在だったが、残した作品に日本と西洋の交差や、時代を先取りしたモダニズムを感じ、その素晴らしさにスポットライトを当てる女性がいる。「大澤資料プロジェクト」代表を務める生島美紀子さんは、日本の近現代における音楽界で、ややもすると葬り去られそうになっていた大澤作品を、再び世に送り出すミッションを感じたという。
生島さんは神戸女学院大学で作曲を専攻、スタンフォード大学大学院博士前期課程修了、音楽学で日本人初の”Master of Arts (マスターオブアーツ) ”を取得。さらに大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)号を取得した。現在は母校の神戸女学院大学・音楽科で教鞭も取っている。
2020年、大澤壽人が当時24歳でボストンに留学した1930年から90周年を迎えた。類まれな才能は神戸からボストン、そしてパリへと羽ばたき、帰国後もそれは止むことはなく、神戸に戻り音楽活動を旺盛に続けた。しかし惜しくも1953(昭和28)年10月に47歳で急逝する。20世紀初頭に生きた関西の音楽家に、もう1人、芦屋市で育ち、ベルリンに渡った作曲家で、28歳という若さで死去した貴志康一(きし・こういち 1909~37年)がいる。いわゆる「阪神間モダニズム」は音楽の世界にも根を張り、こうした人物を輩出した。
交響曲3曲、ピアノ協奏曲3曲、コントラバスや数種の管楽器の為の協奏曲、数々の合唱曲をはじめ、映画やラジオ放送のための曲など1,000曲近くの作曲・編曲作品を残した。大澤が幼年時代に住んだ神戸・脇之浜(今の神戸市中央区脇浜海岸通付近)の路地で遊んでいた頃の印象をモチーフに7つの情景からなる「交響組曲『路地よりの断章』」、日中戦争時に発表された「ピアノ協奏曲第三番 神風協奏曲」などが代表的作品。このほかオーケストラの結成と育成、神戸女学院での後進育成などにも力を注いだ。
こうした偉大さを後世に伝えるため、大澤の生誕の地、神戸の民音音楽博物館・西日本館(神戸市中央区)で、2006年、長男・壽文さんから自筆譜をはじめ約3万点もの遺品の寄贈を受けた神戸女学院の協力のもと、膨大な遺品資料を学術調査した生島さんが監修、大澤壽人の「世界へ飛翔した作品」が紹介されている。(※記事中の写真は主催者の許可を得て撮影しています。会場内は原則、写真撮影禁止)