華やぐ黄紋、”幻の菊花” 食す秋 最澄が持ち帰った「坂本菊」ここに健在~近江の名刹・西教寺 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

華やぐ黄紋、”幻の菊花” 食す秋 最澄が持ち帰った「坂本菊」ここに健在~近江の名刹・西教寺

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「秋は、松茸より菊。菊を食べずして秋は感じない」

最澄が日本へ持ち帰ったとされる「坂本菊」32本の筒状の花弁が特徴
最澄が日本へ持ち帰ったとされる「坂本菊」32本の筒状の花弁が特徴

 今年、没後1200年を迎えた比叡山の開祖・最澄が平安時代に唐から持ち帰ったと伝わる「坂本菊」。食用菊は日本各地で栽培されているが、坂本菊は直径約3センチの円内に散りばめられた32枚の花弁は筒の形をして、その先端は幾重にも広がる、立体的で繊細な”黄色の紋章”。皇室が菊紋を用いるようになったのは、最澄が菊花を桓武天皇に献上したから、との伝説もある。

”幻の菊”希少価値が高い坂本菊 <※画像提供・NPO法人「坂本菊会」芝村貞喜さん>
”幻の菊”希少価値が高い坂本菊 <※画像提供・NPO法人「坂本菊会」芝村貞喜さん>
一面に広がる坂本菊 <※画像提供・NPO法人「坂本菊会」芝村貞喜さん>
一面に広がる坂本菊 <※画像提供・NPO法人「坂本菊会」芝村貞喜さん>

 薬用として日本に持ち帰ったこの菊は、比叡山延暦寺の門前町であり、最澄の生誕地である坂本地区(滋賀県大津市)で栽培されている。栽培には多大な労力が必要で、いったん栽培した農地は5年もの間は栽培することができないとされている。さらに水やりも絶やせない。また天候に左右されやすいデリケートさもあり、今では栽培する農家も数えるほど。生産者の高齢化も進む。

幻の菊づくし「菊御膳」(滋賀県大津市 西教寺)
幻の菊づくし「菊御膳」(滋賀県大津市 西教寺)

 地元では約30年前、「絶滅させてはいけない」と坂本菊振興会が発足、菊を使った「菊御膳」を名物料理にしようと、比叡山の麓、明智光秀一族の菩提寺でもある西教寺(天台真盛宗・総本山 大津市坂本五丁目)で20年ほど前から提供を始めた。そして坂本菊の栽培は2016年、NPO法人・坂本菊会に受け継がれる。

西教寺 比叡山延暦寺焼き討ちで焼失した後、明智光秀が寺の復興に尽力
西教寺 比叡山延暦寺焼き討ちで焼失した後、明智光秀が寺の復興に尽力
境内には光秀一族の墓がある
境内には光秀一族の墓がある

 ちなみに最澄は唐から茶の種も持ち帰ったとの言い伝えもある。種は比叡山麓に植えられたとされ、これが事実ならば、「日吉茶園」(大津市坂本三丁目)は現存する日本最古の茶園となる。

■『菊御膳』この道50年、京の寿司職人が腕を振るう


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