昭和の大歌手たちの人生を変えたアニメソングとの出会いとは……アニメ産業が飛躍的に発達した1980年代に起こった、アニメソングをめぐる人生ドラマについて、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が紹介します。
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【中将タカノリ(以下「中将」)】 菜津美ちゃんは、アニメは観るほうですか?
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 そうですね、学生時代に『涼宮ハルヒの憂鬱』や『けいおん!』が流行った世代なので、よくチェックしてるほうだと思います。アニメソングも好きですね。
【中将】 今の若い世代の間では、アニメソングは音楽のジャンルの1つとして、ごく自然に受け入れられていますね。日本ではテレビアニメの流行をきっかけに1960年代から数多くのアニメソングが作られるようになりましたが、実は1980年代頃まで音楽シーンにおけるアニメソングの地位はあまり高いものではありませんでした。
【橋本】 そうなんですか!?
【中将】 子ども向けの音楽というイメージが強かったんでしょうね。実際に当時のアニメは子ども向け作品がほとんどだったし、曲も面白おかしいものが主流でしたし。歌手にもアニメソングを歌うことに抵抗を感じる人が多かったんです。
【橋本】 現代とは全然違うんですね…今はむしろアニメソングを担当したいという歌手やミュージシャンのほうが多いと思います。
【中将】 そういった状況が変化してきたのが1970年代後半頃からでしょうか。少しずつ大人もアニメに関心を持つようになった影響か、歌謡曲、ポップスとしても非常に質の高いアニメソングが生まれるようになりました。1980年代はアニメソングの黄金期と言っていいほど数々の名曲が生まれていますが、中でも特に有名なのは岩崎良美さんの「タッチ」(1985)じゃないでしょうか。