元阪急・オリックスの名投手、佐藤義則氏 最優秀防御率を達成したシーズンに年俸ダウン提示、驚きの理由は… | ラジトピ ラジオ関西トピックス

元阪急・オリックスの名投手、佐藤義則氏 最優秀防御率を達成したシーズンに年俸ダウン提示、驚きの理由は…

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 阪急・オリックスのエースとして活躍した元プロ野球選手の佐藤義則氏が、4日放送のラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』にゲスト出演し、現役時代の秘話を語った。

佐藤義則氏(写真:ラジオ関西)

 北海道奥尻島出身、函館有斗高校、日本大学を経て、1976年のドラフト1位で当時の阪急に入団。1977年のルーキーイヤーに7勝をあげたのをはじめ、阪急・オリックスの主力投手として長らく活躍。リーグ優勝を果たした1995年には40歳でノーヒットノーランを達成している佐藤氏。1998年までの21年間の現役生活では、通算165勝137敗48セーブという実績を残している。現役引退後はオリックス、阪神、日本ハム、楽天、ソフトバンクで投手コーチなどを歴任し、ダルビッシュ有投手や田中将大投手らを育てたことでも知られている。

 今回のラジオ出演では、現役時代を振り返った佐藤氏。パーソナリティーの林歳彦氏(会社経営者・環境活動家)・田中大貴(フリーアナウンサー、元フジテレビアナウンサー)とのトークのなかで、当時のピッチャーに課せられていた「ノルマ」についての話が飛び出す。

 佐藤氏は自身の現役時代で最も自慢したいことについて「(130試合制のペナントレースで)中4日(の間隔)で35試合に休まず登板し23完投したこと」だと1985年シーズンの偉業を回顧。現在のプロ野球は分業制が主流で、昨シーズン最多の完投数を記録したのがオリックス・山本由伸投手の「6試合」ということをみても、佐藤氏の完投数が桁違いであることがうかがえる。

 また、佐藤氏はその1985年に21勝をマークし、最多勝利のタイトルを獲得している。後のパ・リーグで20勝以上したピッチャーは2003年の斉藤和巳氏(20勝、当時ソフトバンク)まで現れなかった。それでも、佐藤氏はあくまで“完投”にこだわっていたと述べるとともに、「自分の先輩も20勝以上している人がたくさんいたので、勝ち星の数はあまり意識していなかった」と振り返っていた。(※通算完投数141は、歴代28位タイ。1位は金田正一氏の365)

 さらに1985年シーズンは、260回という驚異的なイニング数を投げていた佐藤氏。昨今のプロ野球で200イニング以上投げるピッチャーはほとんどいないが、これについて佐藤さんは「200イニング以上投げろというノルマがあったんです」と明かす。

「ある程度ローテーションを組んで、『山田(久志)と今井(雄太郎)と佐藤は200イニング以上がノルマね』と言われてたんですよ。これはもうケガはできないなという思いでしたね(笑)」と話す佐藤氏。翌年の1986年シーズンではひじの故障に見舞われ、約2か月の戦線離脱を強いられる。休養期間を経て復帰し、イニング数は160回と減少したものの結果は14勝6敗と二けた勝利をマーク。防御率2.83で最優秀防御率のタイトルを獲得し、チームに貢献している。

 そんな好成績を出したにもかかわらず、シーズン終了後、球団からは年俸ダウンを提示されたのだそう。

「前シーズン(1985年)で260イニング投げていたので、球団には『イニング数に応じて給料を上げてくれ』って頼んでたんですよ。だから(球団から)『今シーズンもイニング数に合わせた年俸にした』と言われたんです。『イニング数で給料上げてって言うから(昨シーズンは)給料を上げた、今シーズンは投げてない』ってね。ただし、こっちはひじを故障していたので、200イニング以上は無理で……。復帰後の試合でも強いチーム相手に投げ続けていたし(最優秀防御率の)タイトルも取ったのに、話を聞いてくれなくて……それがショックでしたね」(佐藤氏)

 結局、年俸額は「現状維持ということで収まった」そうだが、現代では考えられない、当時のエース事情を垣間見たエピソードだった。

 なお、佐藤氏は次週7月11日放送のラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』にもゲスト出演予定。オリックスOBとして、今シーズンのここまでの感想や、今後の展望などを語るという。

番組収録の様子(写真:ラジオ関西)
写真左から、田中大貴、佐藤義則氏、林歳彦氏(会社経営者・環境活動家) (写真:ラジオ関西)
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としちゃん・大貴の ええやんカー!やってみよう!! | ラジオ関西 | 2022/07/04/月 19:30-20:00

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