大阪を代表するグルメの一つといえば「串カツ」。テーブルごとに設置されたソースに、揚げたての串をどっぷり漬けて食べるのは大阪流のスタイルですが、お店によっては「2度漬け禁止!」をうたっているところも。
串カツに慣れない他県民を戦々恐々とさせる「ソース2度漬け禁止文化」ですが、そもそもこの文化はどのように始まったのでしょうか。衛生的な観点から? もしくは客同士のトラブル防止のため……? その謎に迫るべく、9月4日を「串カツ記念日」と制定するなど串カツを盛り上げるための活動をおこなう「日本串カツ協会」(事務局:大阪市城東区)の会長兼理事・吉野誠さんに話を聞きました。
新世界のお店へ昔から通っているお客に直接知識を教わったという吉野さんいわく「2度漬け禁止文化について説明するには、まず串カツの発祥からお話する必要があります」とのこと。
諸説あるものの、串カツ発祥の背景には昭和初期の新世界と西成・あいりん地区との密接な関係があったといわれています。串カツは、休み時間が限られた労働者のためにと、新世界にある飲食店の店主が「安価でお腹がふくれる料理」として考案したことがはじまりだといわれています。そのため、串カツはボリュームと同時に「早さ」と「安さ」が重視されました。
つまり、串カツを提供する側としては迅速に提供オペレーションをこなす必要があったのです。そこで考案されたのが「共有ドブ漬けソース」。ソースを共有化することで、客ごとにいちいちソースや皿を用意する手間が省くことが可能となりました。客側からも、自分でたっぷり漬けられる共有ドブ漬けソースは評判がよかったのではないのでしょうか。
「ただ、共有でソースを使うとなると、衛生面は問題となります。また、唾液はソースを腐らせる原因でもあります。このため暗黙のルールとして広まっていったのが『2度漬け禁止』であり、それが今日では文化として定着したものと思われます」(吉野さん)
ときおり理不尽なルールのように扱われる「2度漬け禁止」ですが、きちんと理由があり自然と根付いていったということが分かりました。ただ「暗黙のルール」から始まったこともあり、各店舗によって細部が異なり、客から戸惑う声もあったそう。