神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件で逮捕された少年(当時14歳)について、すべての事件記録が廃棄されていた問題を受け、この事件で次男・淳さん(当時11歳)を亡くした土師守さんが28日、神戸家裁に廃棄した理由や経緯の調査を求める要望書を提出し、「神戸家裁には、誰かの責任を問うということではなく、なぜこういうことが起きたのか検証してもらいたい」と訴えた。
全国の複数の家庭裁判所で、 重大少年事件の記録が廃棄されたことが相次いで判明している。最高裁の内規では、少年事件の記録は、少年が原則26歳に達するまで保存すると決められ、史料的価値の高い記録などは事実上の永久保存となる「特別保存」とするように定めている。
10月20日に、神戸市の事件の記録廃棄が発覚して以降、最高裁は当時の状況が不明なことから見解を述べず、調査は検討しないとしていたが、事態を重く見た最高裁が、全国の裁判所でのすべての裁判記録について保存や運用のあり方を検証する。
検証結果によっては、今後具体的な調査をする可能性も出てきた。最高裁が設置した有識者委員会が、年内にも初会合を開催するという。
提出後、神戸市内で会見した土師さんは、「遺族にとって事件は終わっておらず、遺族の『知る権利』が排除された。二度とこのようなことが起きないように、どこに問題があったのかを究明してもらいたい」と話した。
神戸連続児童殺傷事件は、刑事処分可能な年齢を16歳以上から14歳以上に引き下げるという少年法改正(2000年)へとつながったが、この事件での記録の閲覧ができなかった。土師さんと、代理人を務める井関勇司弁護士は当初から、この事件の少年審判を担当した裁判官(故人)に記録の開示を求めたが、応じてもらえず「段ボール箱が山積みになっている。とても読み切れるものではないぐらい大変な作業だ」と言われたという。しかし、いつかこれらの記録を閲覧して、事件の真相を知る糸口をつかみたいという淡い期待があった。
それにもかかわらず廃棄されてしまった。井関弁護士は「社会的影響が大きい少年事件の記録について裁判所内で『特別保存』という内規や通達がありながら、こんなずさんなことが起きていた。記録は加害者のことだけでなく、亡くなった被害者の『生きた証(あかし)』。戦後最大といっても過言ではない少年事件、記録を廃棄する際に躊躇(ちゅうちょ)はなかったのか」と怒りをにじませた。
土師さんは廃棄されたことについて「驚愕でしかなかった。あり得ないことだった。要望書を出すことに関しては迷いはなかった。当事者が声をあげること必要だ、という感情に駆られた」という。
そして、「事件の特異性から、検証が必要となり得る記録を閲覧することで『なぜ子ども(淳君)が命を奪われなければならなかったか』という問いに少しでも近づきたかった。今はその思いが叶うことはない」と落胆の表情を見せた。
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