学校や自宅、あらゆる建物の入り口に置かれていた、茶色・ピンク・緑の3色づかいが印象的な玄関マット。「たわしマット」と呼んでいる人も多かったそうですが、じつは「タンポポマット」という正式名称があります。「タンポポ」と付く名前の由来や、なぜあんなにも普及していたのかなど、謎の尽きない懐かしアイテム。製造元である株式会社テラモトの担当者に話を聞きました。
―――いつから販売されている?
【担当者】 タンポポマットの前身となるマットは昭和初期には開発されていたそうで、そこからいくつかの改良を重ね、1951年に現在の形となりました。以降は形を変えることなく販売を続けています。
―――前身のマットと現在のタンポポマット、形状の違いは?
【担当者】 1927年の創業時からタンポポマットが発売されるまでの期間、弊社ではバネ状の針金が並べられた「泥落としマット」を販売しており、これにはブラシはついていませんでした。当時は戦時中で金属が不足していたことから、木製のマットも取り扱っていたそうです。その後、さまざまな改良を経て、ブラシの上にワイヤーが張られている現在の形へと変化していきました。
ただ、とにかく歴史の古い商品なので、ブラシのついていないマットなどの情報は社内に残っておらず、人づてに語られているのみとなっています。
―――なぜ現在の形状に変化した?
【担当者】 強度を保つためです。当初のバネのみの形状では心もとなく、かといって、ブラシがむき出しの状態だと靴底の汚れは落ちてもすぐに毛がへたってしまう。結果、踏まれつづけても毛がへたりづらく、靴底の汚れもしっかりと落とすことのできる形状としてブラシの上にワイヤーを張る方法が採用されました。
―――最盛期は?
【担当者】 当時の記録が残っていないため最も売れた時期かは不明なのですが、1980年代には年間およそ20万枚を売り上げていたと伝えられています。戦時中や戦前のほうが売り上げていた可能性もありますが、昭和の時代は今よりも目にする機会が多かったのは確かですね。
―――なぜ重宝された?
【担当者】 道路が舗装されていなかったこと、靴を履いたまま入る建物が増えたことが大きな要因です。舗装されていない道路が多いということは、靴底に土がつきやすいということ。これに、昭和初期ごろから靴を履いたまま入る洋風の建物が増えたことが重なり、靴底の土を落とすというニーズが高まったのです。
「靴底の汚れを落とすためのマット」がありそうでなかったこと、そして汚れがよく落ちた、ということから多くの場所で使用していただけたのだと思います。