お正月に欠かせない料理「お雑煮」。でも、おめでたい席でいただく縁起物には一見ふさわしくないようにも感じる「雑」の文字、気になったことはありませんか?
そこで今回は、WEBサイト『お雑煮という奇跡』を運営する株式会社久原本家 「茅乃舎」(本社:福岡県糟屋郡)の齊藤珠美さんに話を聞きました。
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――お雑煮の「雑」の漢字は、お正月に一見ふさわしくないようにも思えますが、どんな意味があるのでしょうか?
【株式会社久原本家 茅乃舎 齊藤 珠美さん(以下、齋藤さん)】 「雑」の文字は、おめでたい食材を「色々そろえる」の意味で使われていたようです。「雑」という漢字には『色々なものがまざる・集まる』といった意味合いが元々あるので、マイナスな意味で使われていたわけではないのでは、と思います。
――そもそも「雑煮」という名前の由来は? 「五臓六腑」を保養する「保臓(ほぞう・ほうぞう)」から転じたという説もあるようですが。
【齋藤さん】 確かに「保臓」もしくは、「煮る」を意味する「烹」の文字を充てて「烹雑(ほうぞう)」とも呼ばれていたようです。ちなみに「烹雑」は、雑煮の文字を、おめでたい食べ物ゆえに漢字をひっくり返して上品に言い直した言葉です。
しかし「雑煮」という名前がもっとも古くに登場するのは、足利家の料理人が記した『山内料理書』(1497年)です。つまり、室町時代にはすでに「雑煮」という名で呼ばれていました(※1 以下内容も出典は同じ)。
実は、当時のお雑煮は正月だけに食べられるものではありませんでした。三々九度のお酒に添える肴のひとつとして、武家や公家が大事な客人をもてなしたり、婚姻の儀式にも出されていたんですよ。
――室町時代からお雑煮はすでに存在したんですね! 当時のお雑煮はどのようなものだったのでしょうか?
【齋藤さん】 当時の具材は、餅や大根、青菜、花鰹、里芋などのほかに、アワビ=「不老長寿」、ナマコ=「コメの豊作」などの願いを込めた縁起のいいものが選ばれていました。
――お雑煮の発祥の地は?
【齋藤さん】 先ほどご紹介した『山内料理書』が、お雑煮が登場する最古の書物です。つまり足利幕府(室町幕府)のあった京都が発祥と言って良いかと思います。
その後、ハレのもてなしの場でお雑煮を食べて信頼関係を固めるという習慣は、武家に受け継がれていきます。織田信長が、徳川家康を安土城に招いて「烹雑(=雑煮)」をふるまったという記録も残っているんですよ。
江戸時代になると「どのような家でも、お雑煮を用意して正月を迎えた」といわれるほど、庶民の間にもお雑煮文化が広まりました。



