《阪神・淡路大震災29年》1.17 石碑が語る「未来への警告」~私たちが未来へつなぐ課題とは | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《阪神・淡路大震災29年》1.17 石碑が語る「未来への警告」~私たちが未来へつなぐ課題とは

LINEで送る

この記事の写真を見る(16枚)

 阪神・淡路大震災から29回目の朝を迎えた。

 神戸の中心部・三宮の東遊園地で開かれる追悼行事「1.17のつどい」で、灯籠を並べ、かたどる文字は「1995 ともに 1.17」。元日に起きた能登半島地震は、改めて被災地の人々に寄り添う “共助”の思いを深める機会となった。

 同時に、地震大国・日本に住んでいる現実と向き合い、阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震のほか、数々の風水害から得た教訓を後世に生かさねばならない。

神戸・ポートアイランドから激甚被災地・神戸市長田区方面を空撮<1995年1月17日 ※画像提供・神戸市>

 日本人は古来より日々の出来事を記録してきた。記録方法は文書が圧倒的に多く、日記にしたためることが多い。しかし、自然災害のような特別な出来事は記録を冊子にしていた。自然災害には地震・台風による風水害・霖雨(りんう・長雨のこと)・火山噴火などがあり、どれもが日本列島を襲う。ここでは地震の記録について「はりま地盤・地震研究会」代表の西影裕一さん(兵庫県姫路市)に聞いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 日本で一番古い地震の記録は、日本書紀に「允恭天皇五年(416年)七月一四日河内の国、地大に震ふ」とある。やがて、震災の記録を後世に伝えようと石碑に記録するようになる。

 国土地理院は2019年3月、自然災害伝承碑の地図記号を制定してインターネットで閲覧できるように整備した。自然災害伝承碑とは、前述したように自然災害が起こったとき、先人がその様子や教訓を石に刻み込んだものだ。実際に被災した場所に建てられていることが多いことから、その地域で過去にどのような災害が起きたのかを知る手がかりとなり、地域住民の居住地の自然災害リスクの認識と防災意識の向上に役立つものと期待されている。これは「未来への警告」といえるのではないだろうか。2023(令和5)年12月21日現在、2068基が公開されている。

 ここでは、3つの地域に保存されている自然災害伝承碑を記す。

■大地震両川口津波記 大阪市浪速区幸町

 嘉永七年・安政元年(1854年)建立。同年11~12月に起きた地震の記録である。まさに伝承するために詳細に書かれており、読む者の胸を打つ内容なので、要点を以下に記載する。

石碑文「大地震両川口津浪記」(大阪市浪速区幸町・大正橋東詰)建立は安政2(1855)年7月

『嘉永七年(1854年)6月14日午前0時頃、大地震が起きた。大阪の人々は驚き、川のほとりにたたずみ、余震を恐れながら不安な夜を過ごしたが死者はいなかった。同年11月4日に再び大地震が起きた。その際、地震水の上なら安心と思い小舟に乗って避難している人もいた。翌日の5日に再び大地震が起きると、家々は倒壊し火災が発生した。これらが治まると、今度は津波が押し寄せてきたため、船はことごとく壊れてしまい、船に乗っている多くの人々が犠牲になった。そこからさかのぼること147年前の宝永四年(1707年)の地震でも、小舟に乗った人が津波で水死したと聞いていたが、長い年月が経っていたため、これを伝え聞いた人はほとんどおらず、また犠牲者が出てしまった』

石碑文「大地震両川口津浪記」(大阪市浪速区幸町・大正橋東詰)

 地震後は津波が来るため、船に乗って避難をしてはいけないという147年前の先人の教訓を忘れていた。

 そこで、地震が発生したら津波が来ると心得ておくこと。現金や大事な書類は大切に保管すること。そして、何よりも火の用心が肝要である(この他、液状化現象について言及がある)。津波の勢いは高潮とは異なることも伝えている。

LINEで送る

関連記事