近年、「コミュニケーションデザイン」という考え方が広がりをみせている。誰に・何を・何のために伝えるのか……その間をつなぐコミュニケーションを組み立てることを指す。兵庫県神戸市西区にある「クリティカ・ユニバーサル」は、このコミュニケーションデザインを専門的に手がけるチームだ。代表を務める四戸(しのへ)俊成さんに、起業のきっかけやコミュニケーションデザインの実例などについて聞いた。
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四戸さんは2003年から6年間広告代理店に勤務、プランナーやコピーライター、Webディレクターなどのクリエーション職を歴任した。折しも、00年のアメリカのITバブル崩壊、01年の世界同時多発テロをきっかけに世界が同時不況に突入した時期。08年には、リーマンショックにより世界が大規模な金融危機に陥った。
翌09年に四戸さんは独立。クリティカ・ユニバーサルを設立した。「100年に1度の大不況と言われた最中に産声をあげました」と四戸さんは話す。
当時、海外で広がりを見せていた考え方が「コミュニケーションデザイン」だった。四戸さんは「コミュニケーション分野を勉強できている状況にあったので、日本では自分が担えるのではないかと思い起業しました」と、いきさつを語った。
四戸さんは関東出身。中学生の頃に親の仕事の関係で関西に引っ越してきた。そして「関西は、神戸、京都、大阪、奈良、全部文化が違う」(四戸さん)という状況から受けた衝撃が忘れられず、企業するときも関西を選んだのだという。「作品でも商品でも町でも、魅力を持った“何か”があって、その魅力をまだ知らない人がいたとき、その間にどういうコミュニケーションが生まれたら興味を持ってもらえるのか……それに必要なコミュニケーションをデザインするという仕事です」と四戸さん。
そして起業から10年の節目に、島根・出雲を舞台にした長編アニメーション作品『神在月のこども』を制作した。
『神在月のこども』は、主人公の少女が東京から島根までを自身の足で駆け抜けるロードムービー。毎年旧暦の10月には全国の神々が島根・出雲に集うとして、その月を出雲で「神在月(かみありづき)」(日本各地では「神無月」)と呼ぶエピソードを下敷きにしている。
四戸さんは原作者であり、コミュニケーション監督を務めた。じつは、チーム立ち上げの初期の段階から、前職時の知り合いで島根県出身の人と一緒に仕事をしようと話していたのだそう。