1970年代後半から80年代にかけて田舎ソングのリバイバルが起こっていた? 田舎のパワーと日本情緒の魅力を感じる昭和の名曲について、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美がラジオ番組で語り合いました。
※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2024年8月30日放送回より
【中将タカノリ(以下「中将」)】 近年、田舎や農村の田園風景を歌ったヒット曲はほとんどありません。これは過疎化で田舎で暮らす人、暮らしたことのある人の絶対数が減ってしまったことが大きいと思います。曲にしてもピンとこないし共感もされないからヒットしないということです。昭和においてもすでに昭和30年代半ば以降、西暦なら1960年以降は田舎ソングは格段に減少しています。
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 ビートルズとか西洋の最新の音楽を取り入れていった時代ですよね!
【中将】 1960年代後半のグループサウンズブームはまさにそうだし、大人が聴いていたムード歌謡とかも銀座や赤坂、六本木でお洒落に暮らす世界観ですしね。高度経済成長の影響もあってか、多くの人にとって田舎はダサいもの、思い出したくないものになってしまったのかもしれません。
【橋本】 ほとんどの人が田舎出身だった時代だけに……。
【中将】 ですが、その反動なのか、70年代後半から80年代前半にかけて、田舎の魅力や郷愁を歌った楽曲がいくつもヒットしました。まさに田舎リバイバルですね。今回はそんな時期の田舎ソングの名曲たちをご紹介したいと思います。まずは小林旭さんの『赤いトラクター』(1979)。
【橋本】 なんかめちゃくちゃカッコいい曲出てきましたね!
【中将】 トラクターに向かって「さあ行こう 地平線に立つものは俺たち二人じゃないか」と愛を歌う、飛び抜けた世界観の曲です。
【橋本】 なにかのPRソングですか?
【中将】 はい、1977年にヤンマー農機のCMソングとして発表されました。レコードは、当初、ノベルティとして配布されていただけなんですが、好評すぎて1979年に正式にリリースされています。
【橋本】 すごい! なんかトラクターが変身して戦いそうな戦隊ものみたいな雰囲気があって、インパクト強いですよね。
【中将】 作詞を担当した能勢英男さんはヤンマーの宣伝部長でありながら作詞家としても活躍。作曲を担当した米山正夫さんとのコンビでヤンマーのCMソングを多数制作しました。他に『ヤン坊マー坊天気予報』(1959年)も有名です。
【橋本】 あの曲も! 才能しか感じませんね! 一曲目から田舎のパワーを感じるすごい曲でした。