阪神・淡路大震災発生から2025年1月17日で30年。あの日あの時、甚大な被害を受けた神戸・須磨から、旧ラジオ関西社屋のもとで情報を発信していたのが、谷五郎さんです。当時を知る貴重な存在であり、そこからのラジオ関西を牽引してきた名物パーソナリティーが、この30年を回顧しつつラジオへの思いも語ります。
◇すごいものをなくした土台に、この30年がある
僕がラジオの世界に入ったのは1991年。ラジオ関西発足40年のときだったが、その年のラジ関のテーマが、「大人主義」だったのを覚えている。当時は須磨の旧社屋。そのときも「ラジ関は40年も経つんだ」と思ったものだが、そこから僕がいた30年余り、まあまあ大した年月だし、長いことしゃべらせてもらっているなと思う。
どんな災害でも、10年、20年と経つごとに、区切り、区切りと、言われる。建物など、ひとつの区切りは必要だと思うが、それでいえば、最後に残るのは心の支援。そこに区切りはないと思う。
僕は、あのときの阪神・淡路大震災を経験したが、そのときに身内がなくなったりというのはなかったので、本当に大事な人を亡くした人に比べると、温度差はあるかもしれない。
それでも、91年から4年足らずだが、ずっと通っていた社屋がなくなってしまった……、これも1つ、 なくしたものだと思う。あの須磨の社屋にいたとき、(震災発生で)コンクリートの壁にペケポンが入って、ぐしゃぐしゃになって……、移転してここ(ハーバーランドの現社屋)へ来た。
以前から移転予定があったとはいえ、すごいものをなくしてしまった、捨てたんだという気持ち。その土台があって、この30年がある。大事な人がなくなった心の整理というのはなかなかつかないものだけど、そういったものと似たような感情が僕らもあるのかなという気はするね。
◇山積みになったFAXにみた、ラジオへの信頼
そのなかで、ラジオをここまで続けられているのは、震災のときのリスナーとのつながりが一番大きい。
「震災を語り継ぐ」「経験をいかす」というのは、よく言われることだが、メディアとしては「誰に、何を、伝えるのか」ということが、ものすごく大事。