神戸から能登へ 職員派遣に自ら手を挙げて復興支援 珠洲での10か月で得た気づき「備えがあれば…」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

神戸から能登へ 職員派遣に自ら手を挙げて復興支援 珠洲での10か月で得た気づき「備えがあれば…」

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 昨年元日に発生した能登半島地震から1年以上が経過していますが、その被災地にはいまも、全国の自治体から応援職員が駆けつけるなど、復興支援のために奮闘する人々がいます。このたび、神戸市から長期派遣されている職員がラジオ番組にオンライン出演し、支援活動を行う思いや、現地の状況などを明かしました。

 阪神・淡路大震災の被災地である兵庫県や神戸市は、能登半島の先端にある珠洲市をバックアップ。発災直後から短期間での職員派遣が行われていましたが、昨年4月からは1年という期間で、希望を募って、職員が出向いています。その1人が、神戸市広報戦略部の藤澤正之(ふじさわ・まさゆき)さん(30)です。

藤澤正之さん

 神戸市垂水区出身、阪神・淡路大震災の約3週間前に生まれたという藤澤さん。その直後の被災ということで、「無事に生き残れたというか、誕生日の節目などに、父親には『いま生きていることは奇跡的なことだ』など(生きている)ありがたみみたいなことはよく話を聞いていて。震災があったということ自体に関しては、わりと身近だった」といいます。

 今回の支援活動に関する職員派遣には、自分から手を挙げて参加したそう。ただし、最初は、「現地に行って、自分は何ができるんだろうか、本当に力になれるのかなというところと、初めて足を踏み入れる土地だったので、そこできちんと自分の責任を果たしてちゃんと元気にやっていけるかという不安がありました」と、率直な思いを吐露します。

 実際に珠洲市に足を踏み入れた藤澤さんは、現場の被害の大きさが想像以上だったことに衝撃を受けたといいます。

「(昨年)4月時点で、発災から3か月経過していたんですが、自分が赴任したところは、まだ水が使えない状況でした。現地の方が実際にいま何を求めているのか、何に困っているのかというのは、自分が現地の姿が全然見えていなかったので、最初はその感覚をつかむのに非常に苦労した覚えがあります」

珠洲市のようす(撮影:2025年1月14日)
珠洲市のようす(撮影:2025年1月14日)

 そのなかで真っ先に取り組んだのは、「周りで働く職員の方々によく話を聞く」ことでした。

 現場を知る人々から状況を把握していくことで、「最初は、避難する場所や食料、水という命に関わる喫緊の問題へのニーズが高くて。そこが少しずつ復旧していくと、今度は仮設住宅にいつ入れるのかや、自分の生活を再建するためにどのような支援制度があるのか(が求められる)」と、復旧・復興の進み具合によってニーズが変化することを理解。「何ができて何ができないのかというのを、いろんな情報を自分のなかで集めて、それをかみ砕いていくと、徐々に現地の様子をつかめていけたのかなという印象です」(藤澤さん)。

 珠洲市で、広報を担う藤澤さん。もともと珠洲市総務課では、広報の担当が1人しかいなかったそうですが、災害対応から復旧・復興の大変ななか、今は藤澤さんともう1人の応援職員を入れた計3人で、広報紙やホームページの作成、SNSやLINEでの情報発信を行っています。

 藤澤さんが担当するホームページは、緊急情報や大事なお知らせが最初にあり、よく見られているページや、支援制度、どんな支援があるのかを、アイコンや画像を用いながら、文章だけにせず、イメージが伝わるように意識して作成されています。神戸市に残っている広報がリモートでバックアップする試みも行われているそうです。

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