生まれも育ちも神戸市中央区でサブカル郷土史家の佐々木孝昌(神戸史談会、神戸史学会・会員)が、北区出身で落語家の桂天吾と“神戸のあれこれ”についてポッドキャストで語る『神戸放談』(ラジオ関西Podcast)連載シリーズ。
今回は「別府=神戸」という“説”をテーマにした。

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僕は、恐らく日本で唯一「別府=神戸説」を唱えているのではないだろうか。別府といっても、加古川市の別府町ではない。温泉で有名な大分県の別府市である。
初めて別府を訪れたのは幼稚園の頃。2度目が高校の卒業旅行。そして社会人となり、3度目に別府を訪れたのは1999年。ちょうど海と山の中間に、高さ125mのグローバルタワーが開業して4年目のことだった。
タワー好きの僕は早速上り、展望台から別府市街を俯瞰した時に衝撃を受けたのだ。「ここは神戸やないか……」と。そこから、たびたび別府を訪れ、別府の歴史を研究する別府史談会にも入会。一度は別府に住んでみたいと思うに至ったのだ。

「別府=神戸説」に関しては『別府史談』第33号(2020年・別府史談会)の論説や、拙著『神戸はみだし近代歴史めぐり~写真で見るサブカル郷土史』(2024年・神戸新聞総合出版センター)にて「戦前からいかに似ていたか」ということを書いたが、地形も含めてシンクロする部分が非常に多いのである。
全体的な街のイメージとしては、高層建築の少なかった昭和時代の神戸の灘・中央・兵庫・須磨の4区あたりをギュッと押しつぶしてコンパクトにした感じ。神戸の中心地帯のすぐ横に鉢伏山、後ろに摩耶山があるといったところか。






