『鉱石の道』を辿る旅  掘る・運ぶ・分ける…近代化を支えた鉱山の現場《PR》

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 こんにちは。ラジオパーソナリティーの洲崎春花です。これまで、日本遺産『銀の馬車道・鉱石の道』に関わるインタビューを重ねるなかで、「その道を実際に、自分の足で歩いてみたい」という思いが強くなりました。そんな、“銀の馬車道”をたどってきた旅は、ここからいよいよ“鉱石の道”へと突入します。

■中瀬鉱山

 最初に向かったのは、兵庫県養父市にある中瀬鉱山です。中瀬鉱山は、1573(天正元)年に、八木川で偶然砂金が発見されたことをきっかけに鉱脈が見つかり、近畿最大の金山町として栄えました。

 現在は、地域の有志が中瀬金山関所を整備し、展示や解説を通して歴史を伝えています。外には「トロッコ広場」があり、「ナベトロ」という鉱山車両が展示されています。

トロッコ広場の「ナベトロ」
中瀬鉱山にあるトロッコ広場の「ナベトロ」

 石臼がたくさんあるのも特徴で、これは、採掘された鉱石から金をとりだすのに用いられていたのだそう。当時のまちの面影が残っているからこそ、現地でガイドさんに説明してもらうことのおもしろさを知ることができました。

集められた石臼たち
集められた石臼たち

 現在は、中瀬金山関所の見学のほか、予約制のガイドツアーの申し込みも可能。ほかにも、「中瀬金山まつり」などが開催され、大変にぎわっているそうです。

■明延鉱山

 次に訪れたのは、同じく養父市にある明延鉱山。1987年まで実際に操業していた鉱山です。現在は学習施設として活用され、当時の姿をできるだけそのまま残した坑道を、ガイド付きで見学することができます。

 その深さは36階建てのビルに相当すると聞き、その規模に圧倒されました。坑道内の気温は、年間を通して12〜13度。ひんやりとした空気や岩のにおいなど、五感で感じる体験は、資料や写真では得られない学びがあります。

 明延鉱山を語るうえで欠かせないのが、「一円電車」です。鉱石を神子畑選鉱場まで運ぶために走っていたもので、正式名称は「明神電車」。従業員やその家族の足としても利用され、人数確認のために一円を支払って乗車していたことから、「一円電車」と呼ばれるようになったのだそう。

 かつて、鉱山町の日常を支えた電車は、現在、地域住民やボランティアの手によって復活し、いまも走り続けています。

一円電車 くろがね号
一円電車「くろがね号」
展示されている木彫りのねこは鉱山労働者風
展示されている木彫りのねこは鉱山労働者風
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