昭和の『お正月』を振り返る じつは…“おせち料理”は重箱の四隅から食べてはいけない!?

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 ドラァグクイーンのサマンサ・アナンサとネオ昭和アーティストの阪田マリンが木曜日にパーソナリティーを務める番組『Clip』(ラジオ関西、月-木午後1時~)で、「昭和のお正月」について語りました。

 サマンサのお正月の思い出は、「家族で紅白歌合戦を見て、『どっちが勝つかな?』と言いながら年越しそばを食べ、除夜の鐘が鳴るころには近所の神社に行っていたこと」とのこと。同時に、「10代のころは、友だちと神社へ行きたいという思いが強かった」という本音も明かしました。

初詣

 いまも友人と初詣に行くことがあるという、マリン。家族10人で暮らしているため、家族で過ごす一日は、祖父母の部屋に集まり、今年の抱負を話すのが恒例だった」そうで、「三が日に友だちと遊ぶと怒られた記憶もある」と振り返りました。

 お正月といえば、家族、親戚で集まってあいさつ・食事などをするのが定番ですが、最近は減ってきているのかもしれません。“団塊の世代”と呼ばれた時代までは兄弟も多く、大宴会が開かれるところもあったと聞きます。

 そして、子どもたちにとってのお正月は、なんといってもお年玉。昭和は、いまと比べて親戚の数が違います。多くの人からもらっていたという世代も多いのではないでしょうか。

 いまもお年玉は現金なのでしょうか。なかには、“〇〇PAYでお年玉”という人もいるのでしょうか?

 ちなみに、サマンサは、お年玉をぜんぶ落としたという苦い思い出もあるようです。

 マリンから「お年玉をいつまでもらっていた? いつからあげるようになった?」と尋ねられた、サマンサ。いわく、「高校卒業までもらっていて、いとこの子どもがいたので大学に入ったころにはあげていた」とのことでした。

 ちなみに、マリンはまだ誰にもあげていないそうで、むしろ、まだもらう側なのだとか。阪田家は親戚も多いこともあり、「お年玉をあげるとなるとかなり悩みどころ」だといいます。

お年玉も変化している?

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