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  • 《2》震災報道の検証 【4-B】放送内容・情報の総括

    【4-B】放送内容・情報の総括

    (1)放送方針と姿勢
    放送再開直後から、とにかく目前の被災者のために救援をという思いは自然に社員全員に浸透していった。
    大混乱の中で、十分な方針確認は行われなかったが、大災害でのラジオの役割、被災者への思いは暗黙のうちに一致をみた。
    本社・取材先とともに地元局意識と自らも被災者という立場から被災者の目線での報道ができたと評価できる。
    結果として放送に統一感が生まれ、災害時での地域ラジオの使命を果たしたと言える。
    また、全員が気負わず、終始冷静に放送活動を行い、不安を与えることなく必要なことをキチンと伝えるという基本を守り抜き信頼感を得た。

    (2)放送内容・情報の点検
    ●ラジオカー
    ・他メディアに先がけていち早く被災地に入り、震災直後の混乱を極めた被災現場を巡って、当日だけでも約50回の災害レポートを行った。
    本社~長田・兵庫~垂水・須磨~兵庫・中央・灘・東灘~芦屋~西宮~三宮という、震災当日の、その行動範囲の広さ(約73■+12■+24■+11■)と、データ重視で行われたそのレスキューレポートの克明かつ正確さは、今回の震災報道の中でも特筆される。
    ・テレビ各局がヘリコプターによる空からのリポートであったのに対し、被災者の目線に重点をおいた、地上からのリポートとしては一番早いリポートとなった。
    ・初期には、他の在阪ラジオ局が大半、西宮までしか入れなかったこともあり、克明な災害状況のリポートは被災者の救命・救援に大きな力となった。
    ・安否情報などホットラインに寄せられたリスナー情報を受けて的確に被災地に入り、災害状況のみならず、被災者のかかえるさまざまな問題を明らかにするとともに、安否情報や救援物資を託されるなど放送と被災地を結ぶ動くサテライトの役割も果たした。
    ・特別放送以後もラジオカーチームの体制を継続し、3月末まで、避難所を中心に連日取材活動を行い、救援活動の遅れやボランティア問題、倒壊家屋に関わる問題、仮設住宅の問題、区画整理、都市計画の諸問題などを報告し、行政と被災者とをつなぐ存在となった。
    ・ただ、人員不足からラジオカーチームは、特別放送以後は殆ど一系統にとどまり最小規模を維持するのが精一杯であった。
    ・被災現場からレスキュー情報を発信し続けたデータ中心のラジオカーのリポートは高い評価を得た。
    ●ホットライン情報(リスナー情報)
    今回のAM神戸の震災報道の主軸のひとつには、ラジオカーとともに被災地(被災者)と局を結ぶホットラインの開設が挙げられる。
    安否情報をはじめ、地域リスナーからの通報、生活情報など救援を求める情報とそれに答える情報がこのホットラインに大量に寄せられ、放送全体の主要部分を占めた。
    行政の救援活動の立ち遅れの中、このホットライン情報は極めて重要なものであり、すべての情報を超越したものであった。
    地域ラジオとして率先して取り上げ地域の人々も巻き込んだ救援放送(活動)となった。
    特番以降もホットラインは、被災者と局をつなぐ形で生き続け、AM神戸にとって、一方の情報源になり、放送の支えとなった。
    ・安否情報
    すべてのマスメディアの中で最も早く安否情報を放送し、一番知りたい肉親・知人の安否を明らかにすることによって、被災者に自分達の思いを代弁してくれる放送局であるというイメージを作り上げた。
    このことにより、地域の信頼を得、多くのリスナー情報を呼び寄せ、ラジオコミュニティ作りの原動力となった。
    ・安否情報についての考察
    今回の体験から緊急時に、被災地の人だけでなく、全ての人がまず行うことは、肉親・知人の安否確認をすることであることが鮮明になった。
    AM神戸の場合、当時の情況から極めて自然に安否情報に着手したが、客観情報が少ない中で『電話がつながらない。 何とかしてほしい』という地域の人からの要請に応える形となった。
    安否情報は情報というより、存在のデータともいうべきもので、パーソナルデータの最たるもの。 日常放送では絶対に放送されない性格のものである。
    AM神戸の放送では、災害レポートや関連ニュースを除けば、最初の3日間は、この安否情報が大半を占めた。
    このようなデータを羅列することの実効性については、疑問視する向きもあるが、多くの人がAM神戸に電話を寄せ、何とか安否をと耳をかたむけていたことは容易に想像でき、判明率もかなり高いものであったといえる。
    事実、多くの人から、お陰で連絡がついたという連絡をもらっている。
    ・一方、電話の発着信規制の中で、膨大な電話が集中することから安否情報には批判もある。
    特に安否情報が自分の無事を知らせる以外に、相手に安否を知らせてと呼びかけるスタイルになることから、安否ではなく『無事情報』にすべきだという論もあり、ABCのように、これを実施した局もあった。
    当時の被災者心理から見れば、肉親・知人の安否を一刻も早く確かめたいという強いニーズがあり、それを取り上げる局があることは地域の人の大きな支えになったと考えられる。
    今後このニーズにメディアがどのような形で応えていくのか、システム上の問題があれば、それをどう克服するのか、広範な論議と研究が必要である。
    ・安否情報決定の経緯 他
    17日朝、午前6時30分過ぎ、編成制作局長が出社した際、現場記者から安否情報をすべきとの意見が出た。 局長自身、昨年秋頃から、AM神戸の災害放送マニュアルを見直さねばという論議を管理部門や編成制作局デスクなどとした際、災害時のラジオの役割のひとつとして、他社の経験から安否情報が有用なものだとの認識を持っていた。
    当日朝、出社途中にもそのことを考えていたので、直ちに現場記者の意見に同意した。 しかし、電話のスタンバイ状況や、受け付け要員の出社が把握できていなかったため、電話の稼働確認と受付要員が揃ったところで始めることを伝えた。
    これより先、現場記者と現場ディレクターの間で、安否必要との協議がなされていた。
    その背景には現場記者が昨年、報道フォーラムに参加した際、南日本放送の体験を聞き、災害時のラジオとして安否情報の放送が有効であるという強い認識を持っていたからである。
    7時30分頃、出社した担当役員に図ったところ、役員自身も同様の意見を持っていたため方針として決定、受付の揃った午前8時を期して募集告知を行った。
    募集の際、『まず自分の無事を言って下さい。 できるだけ簡潔にメッセージをまとめて下さい。 できるだけ多くの人の安否を放送するために、ご協力下さい。』 との告知を入れた。
    ●その他のリスナー情報
    ・安否情報とともに、17日夕方から一時集中した、火災発生、ガスもれの通報などの2次災害情報をきっかけに『水・食料』などを求める情報がホットラインに寄せられた。
    その情報は、今必要なもの、生きるために不可欠なものを鮮明に反映する形で寄せられた。
    行政の災害対策、救援が遅れていることとあわせ、相談窓口が機能していないことを物語っていた。
    AM神戸がこの種の情報を積極的にとりあげ放送したのはこうした理由による。
    この放送によって、被災した人々のSOSを発信し、行政に伝えるとともに、地域の人々、ボランティア、近隣の地区にも救援を求める結果をもたらした。
    この放送を聞いた人達は、AM神戸に救援情報を提供したり自ら救援活動に動いた。
    AM神戸はこうした情報の中継基地であるとともに救援放送局となった。
    別の言い方をすれば、今回のAM神戸の震災報道を支えたのは、被災者を含む地域の人々であったといえよう。
    ・安否情報を含めたリスナーからの情報がAM神戸の69時間の放送では主流を占めたが、これらは再三述べるようにいずれも非常にパーソナルな情報で、本来マスメディアがとりあげるものでないかも知れない。
    しかしあの大災害時の放送では、この個人情報を取り上げることが重要であると判断した。
    特にラジオは、大混乱の中で『必要な情報はどんな細かいことでも放送する』
    『リスナーが希望するならどんなことでも放送局に電話を』という局側の姿勢をしっかり見せることが極めて重要だと考えた。
    ●行政情報
    ・少なくとも発生直後から3日間は、行政情報は有効なものはなかった。
    状況把握、体制づくりそのものが遅れていた。
    2日目、知事・市長へトップ緊急会見を行ったが、安心を与えるものは出なかった。
    局側もそうした背景もあって、行政取材は積極的には行わなかったのも事実である。
    ・震災後5日目から災害協定に基づいた放送が始まったが、被災者のニーズにしっくりした情報を得るには時間がかかった。
    本来、被災者からの様々な情報に応えるには、それに基づいて行政(対策本部)で取材して、送り出すべきであるが、当時はそれを行う相手がない状況であった。
    ●ライフライン情報
    発生直後は、各機関からの積極的な情報提供はなかった。
    水道・電気・ガス・電話などすべてがストップ状態の中で情報の出しようがないというのが現状であった。
    しばらくしてそれぞれの復旧見通しなどの情報や、ガス・電気のように2次災害防止の注意はそれぞれの機関から提供があり、有用な情報となったが、復旧見通しは満足できる形ではなかった。
    ●余震・地震情報
    被災者がもっとも知りたい情報に、この種の情報があげられるが、不安を取り除く形での情報は得られなかった。
    また、現実の問題として不可能だったとも言える状況であった。

    (3)情報の入手と出し方
    主な入手経路は前述した。
    視点を変えて分類すると、
    1.自社取材 ラジオカー2台による被災地レポート。 社員情報。
    車・徒歩による災害地レポート。
    2.共同通信社 地震情報、政府の対策など関連ニューが主であったが、当初は東京・大阪からの情報が中心で、当初は唯一のニュース源だったが、17日午後から18日夕方までNTTの回線トラブルで配信が途絶した。
    3.県警災害警備本部 被害状況のまとめ、身元が判明した死亡者の名前など。(記者アナを派遣)
    4.県・市災害対策本部 被災者向け生活情報など(記者アナ派遣)
    5.リスナーからの情報 安否・生活情報など7台の電話で24時間体制で情報を受ける。
    6.ライフライン 企業・学校・各組織からのファックス入電情報
    ・発生直後数日間の自社取材については、データ中心のレポートとなり、大きな成果をあげたが、被災者の生の声をもっと電波にのせるべきだという意見もあった。
    ・地震関連ニュース、地震情報は共同に依存せざるを得なかったが、関連ものが多く、一番欲しい被災地ニュースが少なかった。
    また途中、回線トラブルもあり、ニュース源が不足した。
    ニュースネットワークへの参入などの再検討が必要である。
    ・安否の一環として放送した死亡者名簿は、時間もかかり人員配置も大変だったが一定の評価はできる。
    ・震災2日目二は、知事・市長への緊急インタビューを行ったが、行政の立ち遅れを明らかにする結果となった。
    人員不足もあり、行政への常駐体制も最後までとれなかった。
    行政サイドからの積極的情報提供は、少なくとも1月20日まではなかった。
    ・リスナー情報については再三述べた通り、大きな成果と反響を呼んだが、安否情報の前にリスナーからの災害情報がもらえたのではないかという声もある。
    また、多くの情報を次々と放送したが、情報内容、地域ごとの分類など被災者が聞きやすい形をとる余裕がなかった。
    情報の送り出しの手法、編集の仕方は今後の重要な研究課題である。
    ・また、放送した情報・データを即座に正確にデータ化していくことが求められる。それによって、データの分析・再利用・提供が可能になる。
    ・また、情報の分類の面では、リスナーからの問い合わせに対応できるような形での分類と保存が必要である。
    ・更にリスナー情報については、電波による仲介を基本線とした。
    AM神戸が相手を指定してあっせんする方法はとらなかった。
    個人の状況への深入りを避ける意味もあったが、予想以上に要請が多く、できるだけ多く、できるだけ早くということを第一義にしたためでもあった。
    結果として市民ネットワークが生まれたと思われる。
    ・個人情報の裏どりの問題を指摘する向きも多いが、当時の状況は一部の例外を除いて大きな問題とはならなかった。
    しかし、情報を扱う側の人間として、入手した情報を確認、整理、フォローする必要は厳然としてある。
    当時は、それができない状況だったと片付けてはならない。