《2》震災報道の検証 【7】編成・営業面からの報告と総括
【7】編成・営業面からの報告と総括
(1)編成業務について
放送は、地震直後午前5時46分に中断、6時の時報とともに震災特別番組として、CM抜きで再開された。 この震災番組は、被災直後に設置された震災放送本部と営業局との判断で、1月20日午前3時までの69時間、CM抜きでの放送となった。
CM及び通常番組の復帰時期が、20日午前5時00分の放送開始からと決まったのは19日の夕方であった。
●業務について
ログ(番組進行表)を作成する作業は、平常時なら伝票に沿って作成される。
しかし、ファックス、電話回線の発着信規制といった状況のもと、
・レギュラ-番組の一部復帰、休止
・レギュラ-CMの復帰、休止
・新規CMの挿入(完全パッケ-ジと生CM、CM録音)
こうした要望が、営業各支社から集中したが、意思の疎通をかき、カットすべきCMが流れるといった混乱もあった。 また部員の全員出社が困難であった為、生CMについては時間取り・番組手配など編成業務部では対応できず、営業推進部の助けを借りて急場を凌ぎ、この状態は2月末まで続いた。
●編成について
震災関連番組は2月からスタ-ト。 4月の番組改編時には、『防災インフォメーションがんばれ神戸』(月~金 午前7時20~同23分)
『震災情報ステーション』(月~木、午後0時10分~同28分)
『よみがえれ神戸』(土、正午~一時)
をスタ-トさせた。
(2)営業活動について
本社営業部のテリトリ-は、東は尼崎市、西は明石市、北は氷上郡、南は徳島県鳴門市と広範囲に渡っているが、広告主の85%は神戸市内に集中している。
姫路、大阪、東京各支社は、建物など損傷なし。
1月18日 ・本社営業局を、被災した神戸新聞会館から須磨区の本社内に一時移転。
1月19日 ・出社できた部員で広告主・代理店の安否の確認。 同時にCMの一方的カットに対するお断りの申し入れ。
加入電話は発着信不能も、東京、大阪、姫路を結ぶ専用線は奇跡的に無事。
以降、本社営業局がハ-バ-ランドに移転するまでの約1週間広告代理店との連絡は、各支社が中継。
表 先方ハードコピー使用
1月25日
・営業推進部を除き、本社営業局は神戸ハ-バ-ランドのダイヤニッセイビル14階に再移転。
3月1日
・営業推進部もダイヤニッセイビルに主業務を移す。
●営業売上げ
CM・レギュラ-番組への復帰は1月20日午前5時からであったが、代理店、広告主からの指示は『連絡あるまで、休止』が多く、本社営業局、各支社とも減額を余儀なくされた。
電波料、制作費合算の減額は、1月から3月まで、営業局全体で5000万円を越える数字となっている。
3月後半からは、復帰してくる広告主も増え、6月末現在、本社営業部は、タイムスポット共70%台まで回復している。
一方、震災広報スポットは、1~3月の期間に全社合せて約1億2000万円の出稿があった。
しかし、4月以降の営業収益は、本社営業局に限れば、例年実施しているイベント・事業が自粛ムードで、依然厳しい状況にある。
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