西の比叡山、書写山円教寺。
1000年以上、山上から祈りを捧げる姫路の古刹はハリウッド映画「ラストサムライ」のロケ地にもなった。書写山円教寺(兵庫県姫路市)前住職で第258世天台座主の大樹孝啓師(97)は太平洋戦争期間中に海軍航空隊を転戦する。戦争は見える敵が相手だったが、75年経ち私たちの前に立ちはだかるのは見えない敵、新型コロナウイルス。そこである言葉がよぎったという。<※インタビューは天台座主就任前・2020年8月、太平洋戦争終戦75年企画として掲載>
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私はね、空襲に遭ったとか激戦地に行ったとか、もろに戦火を浴びたわけではないんですよ。最後の最後に準士官から昇格、いわば「ポツダム海軍少尉」です。しかし終戦ですぐにそんな階級は吹っ飛びましたがね。
■太平洋戦争の戦況が悪化の一途をたどる昭和19年10月~昭和20年6月、滋賀海軍航空隊(滋賀県大津市唐崎)に入隊
滋賀海軍航空隊は、天台宗の総本山・延暦寺がある比叡山の麓にありました。当時から私は比叡山とのつながりがあったんでしょうね。これも縁かなと思います。陸軍を志願していたらまた別の場所、でも私は海軍を志願したために滋賀に行った。たまたまなんですけどね。徴兵検査を受けていたら北海道に行かされていたかも知れないと、のちに聞きました。見上げれば比叡の山、見下ろせば琵琶湖畔、そこでは毎日が基礎訓練、これがとにかくきつかった。兵舎の中はずっと駆け足でした。 20万人以上の命が奪われた沖縄戦もあり、すでに本土決戦。攻めていくのではなく守る一方。もう戦争一色でしたね。