天台座主・大樹孝啓師「戦争とコロナ 国家か、国民か」書写山円教寺・前長吏 ~太平洋戦争・追憶~《下》 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

天台座主・大樹孝啓師「戦争とコロナ 国家か、国民か」書写山円教寺・前長吏 ~太平洋戦争・追憶~《下》

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大樹孝啓さん 修正会 2020年1月
円教寺・修正会 2020年1月(中央が大樹さん)

■戦後手にした「自由」の受け止め方を考えたい

 世界が「クローバル化した」といわれて久しくなりました。グローバル化は本来、多様性を認め合うことだったと思うのですが、交通が発達して往来が自由に、便利になった、それだけが取りざたされてしまった。コロナウイルスのまん延で今、海外渡航は規制されていますが、このグローバル化が瞬く間にコロナウイルスの爆発的な感染を招いてしまった側面もありますね。大昔の疫病のまん延も大変でしたが、現代は人々の往来のスピードと規模が違う。

 もっとも、戦中戦後に私たちが受けた苦痛を押し付けるつもりはありませんよ。たとえ日本が劣勢だと思っていても、ポツダム宣言の受諾までは「欲しがりません、勝つまでは」という言葉のもと、もし米軍が上陸したら民衆も闘わなければならなった。「もの言えぬ」時代に比べれば、敗戦で自由を手にしたところまでは良かった。

昭和20年代
終戦後には、趣味のカメラを手にすることも(画像・大樹孝啓さん提供)

■「アクセル」でなく「ブレーキ」を踏み切れていたか

 ただ私たちはその自由のとらえ方を誤ったのかも知れません。敗戦で食糧難の中、進駐軍が乗り込んできてガムをかみ、缶ビールを飲み干してジープで走り回る…そうした姿を見た日本人は「これが自由というものなんだ」と思ってしまった。本来、アメリカには自由を勝ち取った建国の精神がある。そこを真似しないで、派手な部分を見て自由を美化していたのかも知れませんね。それは日本人が敗戦までひもじい生活をしていたという裏返しとも言えます。

 それを思い返して、語り継ぐことは私たちの世代の役目です。間違った自由を謳歌するのではなく、少しの我慢があれば。コロナと共存する社会となり、政府が自粛について国民に強制できず、要請でしかない。むろん罰則もない。国民の自主性を尊重することも大事ですが、 戦後、制約や統制に対して国民が非常に敏感になってしまう文化が育った。私は国民の命を守るためにはもう少し角度を変えて、厳しさも必要だったのではなかったかと思います。国民の大半はルールを守っていると思うのですが、一部の人が守らない。 自由を甘んじてはいけないと思いますよ。自分で自分の首を絞めることにならないように。

大樹孝啓さんとトムクルーズ
2003年公開のハリウッド映画「ラストサムライ」ロケ地として 主演のトム・クルーズ氏(右)と(画像・大樹孝啓さん提供)2002年10月撮影

■円教寺では毎年、元日の午前零時に「新春夢の書」を大樹さん自身が揮毫する。2020年は『命』だった。文字通り命について考えさせられる年に…

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