「この一年、こうあって欲しい」と願う漢字1字を、心を込めて書き上げる。前々から『命』を選ぼうと思っていたんです。明治維新があって海外の文化を取り入れるようになってからも日本人は、三聚浄戒(さんじゅじょうかい)という基本的な仏教の教えにもあるように「悪いことはしません。良いことをする。世のため人のために役立つように、親切に生きる」精神を持ち続けていた。それが現代では互いに傷付け合い、命を粗末に扱う人が増えている。また自ら命を絶つ人も多い。命を大切に思う心を持って欲しいとの気持ちからです。それが世界的に拡がる疫病のまん延で、改めて命について考える年になった。
■最澄の教え「忘己利他」今に
国というのは国民があって国家がある、国家があって国民がある。表裏一体だと思うのです。 特にコロナ社会になり、日本は国家よりも国民個人の権利だけが尊重されてしまった印象が強いですね。経済の循環も大事、国民ひとりひとりの生命も大事。そうしたなか、国家意識が薄くなったような気がします。もっとも75年前の戦争時代はお国のためにと信じ込まされて、私たち海軍の兵隊は米軍キャンプから略奪する稽古をさせられたり、家を守る婦人たちは竹やりを持って米兵に見立てた人形を刺していたのですから、あのころを思えば今さら国(政府)に強制力はない、という意見もあるでしょう。終戦から75年経ち、本当に皮肉なことです。
円教寺は伝教大師・最澄が開いた天台宗の別格本山として1000年以上の歴史を刻みました。 伝教大師・最澄は「忘己利他(ぼうこりた)」という言葉を残された。 文字通り「己を忘れるぐらい他人を大事に」、という意味です。折しも来年(2021年)6月には最澄の没後1200年の御遠忌を迎えますが、私は「自分も他人も共に思いやる。平等に思いやる」と考える「利他」の精神が今のコロナ社会にも通じると思うのです。相手を思いやり飛沫感染を防ぐ、三つの密を作らないという日常生活のあり方が問われている。最澄が「山家学生式」に記した有名な「一隅を照らす、これ 則ち(すなわち)国の寶(たから)なり」という言葉、「社会の片隅に光を当て、与えられた持ち場や役割を誠実に務める人こそ尊い」の根底には「利他」があると思います。1200年前の最澄の時代も災害や疫病に翻弄されてきた。歴史は繰り返されます。
大樹孝啓(おおき・こうけい)
1924年(大正13年)6月、兵庫県飾磨郡曽左村書写に生まれる。1943年(昭和18年)出家得度。海軍少尉任官、終戦を迎える。1948年(昭和23年)~1965年(昭和40年)姫路市で小学校教諭。1984年(昭和59年)円教寺第百四十世長吏に就任。1996年(平成8年)大僧正補任。2010年(平成22年)天台座主の次位に当たる次席探題を経て、2021(令和4)年11月、第258世天台座主に上任。