『気づけば27キロも歩いていた』
事件から1年経ち、正子さんが敏さんに話しかけた。「せめて将太の居場所だけでも」。将太さんが居なくなり、ポッカリと穴が空いたような家庭。ようやく仏壇を安置した。そこには在りし日の将太さんの写真や遺品の携帯電話も置かれた。そして部屋のレイアウトは、使っていたベッドを折りたたむだけで、将太さんが暮らしていた当時のままに。
一方で犯人への怒りと憎しみは強まってゆく。敏さんは居ても立ってもいられず、将太さんの同級生らの協力を得て、情報提供を求める自作のチラシを自宅でプリントアウトして現場周辺で配り続けてきた。最初は自宅から半径200メートル圏内。その後、半径約1キロ圏内の6千世帯にまで徐々に範囲を広げてポスティングした。ある日、身に着けた歩数計を見れば27キロメートルと表示されていたという。自作のチラシは10年で5万枚近くにのぼる。ただ、ふとした瞬間に、大学生や社会人になってゆく同級生を見て、「将太が生きていたらどんな感じだったのだろう」と切なくなるときがある。「事件さえなければ、今ごろ孫を抱っこしていたかも知れない。将太の子どもを」
そして神戸に拠点を置く犯罪被害者遺族の自助グループにも参加するようになった。会合で他の遺族との交流を重ねる中、捜査情報が遺族や被害者に伝えられないことや、犯罪被害者への法律のあり方などに疑問を感じ、法律の知識などをもっと幅広く知りたいと思うようになり、大学の通信教育部に入学。いまも勉強を続けている。
『犯人から真相を聞くまでは…』
各地で講演することも多くなった。小中学校や自治体、時には警察学校で、敏さんは父親として、被害者遺族として、自分の思いを語ってきた。2017年10月4日には捜査本部が置かれている神戸北署の署員約70人を前に「北署の皆さん、どうか息子に犯人逮捕を報告させてください。そしてこの事件の真相を犯人から聞きたいのです」。深々と頭を下げた。父親としての切実な思いだった。「基礎捜査を怠ってはいけない」1時間にわたる講演を聞いた女性警察官は涙ぐんで誓った。また阪神間の公立小学校での講演で、将太さんとの思い出や犯人検挙への思いを聞いた女子児童の1人は「堤さんのようなお父さんがいたら」という感想を綴ったという。「あれだけ子離れしていた私にね、こうした感想を抱いてくれたんですよ」敏さんは明らかに自分自身の変化を感じた。