5日になると、西宮町の西にある打出村の住人が、村から退去しているとの情報が神主の耳に入り、6日には、尼崎藩の知人が家族をつれて西宮町に逃げてきて、尼崎城下が大混乱に陥っていると神主に伝えている。
一方、「十日えびす」は、9日の宵宮から始まるため、神社は準備で忙しい。本殿や諸末社の神器や鍵を安全な場所に移すなど自衛の策をとりながら、神主はいつでも退去できるよう夜間も身支度を解かずに布団に伏していた、との記録が生々しい。
「宵えびす」が始まった9日と「十日えびす」当日の10日の日記には、大坂城内に火の手が上がったことが記されている。「当時なら、きっと夜空を焦がす大坂城の火事が見えたはず。氏子たちもとても参詣とはいかなかったのでは」と戸田研究員。それでも、日記には神事が粛々と執り行われたことが記されており、「幕末期の神職たちの気概が感じとれる貴重な記録です」と話している。
それから約150年後。令和3年の十日えびすは、全世界を覆うコロナ・パンデミックの渦中で営まれる。10日午前0時からの忌籠(いごもり)と午前6時の開門神事は行うが、赤門から本殿一番乗りを競う「福男選び」は中止となり、先着5千人に配布していた「開門神事参拝証」の授与も取りやめとなった。福笹や熊手などの縁起物などは1月末まで授与することにし、神社では感染防止のため分散参拝を呼び掛けている。
◆えびすさま よもやま史話 「西宮神社御社用日記」を読む
西宮神社文化研究所・編
(神戸新聞総合出版センター)
https://kobe-yomitai.jp/book/983/
◆えびす宮総本社 西宮神社 公式サイト
https://nishinomiya-ebisu.com/