ラジオ福島の元アナウンサー、大和田新さん(現、フリーアナウンサー)。2011年3月11日に起きた「東北地方・太平洋沖地震」について、当時、様々な情報を発信する役割を担っていた貴重な伝え手の1人に、お話をうかがった。インタビュー前編では、震災を語るうえでのこだわり、そして、震災当日の記憶をたどる。
◆「あっという間」の10年間
――今年の2月13日も大きな地震があり、東北地方・太平洋沖地震の余震が続いています。この(10年という)タイミングでの地震に驚きも感じるのですが……。
そうですね、2月13日夜、福島県内では最大震度6強を記録しました。その6強を記録した相馬市・新地町・国見町を歩いて取材しましたが、ものすごい被害でした。間もなく3月11日だったということもあり、それまでに倒れたお墓を戻したいというご遺族がいっぱいいらっしゃったんですが……。「亡くなった娘・息子のために倒れたお墓を直したいんだけど、業者さんも忙しくて間に合わない。申し訳ない」とおっしゃっているご遺族が多かったですね。
――東北地方・太平洋沖地震から10年。大和田さんにとっての10年は、長かったのでしょうか、あっという間だったのでしたか?
私個人としては、本当にあっという間の10年でしたね。でも、この10年間、いろんな方にお話をうかがうなかで、まだ10年の溝を埋められない方、特にご家族を亡くした皆さんにとって、10年というのは決して節目でも何でもないということを、最近つくづく感じています。
◆「『フクシマ』だと、原発事故のイメージしか伝わらない」
――『フクシマ』というカタカナ表記や、『3.11』という呼称があり、これらをむやみに使っていいものか、考えさせられるのですが、そのことについてどう思われますか?
※後編では、「東北地方・太平洋沖地震」について報道していた当時の大和田さんが経験したこと、そして、福島県の未来についてお話をうかがいます。