■阪神・淡路大震災での「恩返し」の気持ちを胸に
3日間の捜索で不明者を発見できなかった。「阪神・淡路大震災の時は、救護のために各地から駆け付けてくださった恩返しがしたい、そうした中1人でも発見に至るような捜索ができればと悔しさが残る。隊員も帰りたくない、(現場に)残りたいと言ってくれた。その気持ちが嬉しかったが、常に二次災害の恐怖があり、隊員の命を守ることも重要。こうしたことを踏まえ、発災時にすぐ動けるか、日々の訓練と準備の重要性を思い知った」と話す。
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■「土は怖い存在」熱海の場合は違った
「7月豪雨」というと、2018年の広島・2020年の熊本・そして今年(2021年)の熱海。すべて現地に足を踏み入れたと話すのは本部・災害対策課の三戸恵一朗警部補(45)。東日本大震災などで過去6回の災害派遣の経験がある。「それぞれに土質が違う」のを実感した。
「広島では真砂土(まさど・乾燥している状態の土)だったので、土の上に立って作業できた。熊本は地面は崩れてはいるが局所的だったので、水さえ抜いてしまえば何とかなる状態だった。しかし今回の熱海は土砂が流れ切った中、約2メートル積もった状態からの救助活動だったため、泥を排除する大変さ、スコップですくっても、ベったりまとわりついて泥が落ちない。何度もスコップを振らないと泥が落ちない」もどかしい作業だった。
■東日本大震災の現場で「この道を」
もともと刑事畑。巡査部長時代、甲子園警察署(西宮市)では刑事第一課に所属していたが、のちに機動隊へ異動となった。2011年3月11日発生の東日本大震災で岩手県に派遣され、津波の被害に遭った住民を救出した際、手を合わせて「ありがとうございました」の一言で、「この道しかない」と誓った。以後レスキューの道を歩み、広域緊急援助隊・特別救助班長に任命されたほか、国際緊急援助隊の指定も受けた。さらに今年(2021年)、「兵庫県警本部長指定技能指導官」となり、後輩の育成にも力を注ぐ。