パラスポーツアスリートが語る思い「障がい者やパラスポーツを自然なものとして社会に受け入れてもらえるようになれば」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

パラスポーツアスリートが語る思い「障がい者やパラスポーツを自然なものとして社会に受け入れてもらえるようになれば」

LINEで送る

この記事の写真を見る(6枚)

「ひょうごユニバーサル大使」を務める“盲目の漫談家”濱田祐太郎が出演するラジオ番組【濱田祐太郎のひょうごユニバーサル通信】(ラジオ関西『PUSH!』内)。そのなかで、パラスポーツアスリートとして活躍してきたゲストが、競技を始めた経緯やパラスポーツの醍醐味、障がい者の現状を語った。

《※「ユニバーサル社会」とは、年齢・性別・障がいの有無や、言語・文化などの違いに関わりなく、すべての人が地域社会の一員として尊重される社会のこと》

 身体障がい者が、車いすや義足、義手などの道具を競技に使って戦いを繰り広げる、パラスポーツ。久保秀男さん(神戸市障害者スポーツ指導員)は、イギリスで行われたストーク・マンデビル大会で、陸上のスラローム競技で銅メダルを獲得。また、車いすバスケットボールのプレーヤーでもある。

 18歳のときにオートバイ事故で脊髄を損傷して下半身不随となり、車いす生活となった久保さん。「28歳のときに友だちに誘われて、(神戸市)西区にある兵庫県障害者勤労体育館(現・兵庫県障害者スポーツ交流館)で、全国規模の車いすバスケットボール大会(のじぎく杯車いすバスケットボール大会)を観戦してから “これはおもしろそうなもんやな”と」いう思いを抱き、パラスポーツの世界に飛び込む。

車いすバスケットボール

 高校時代には、部活動で野球をしていたので、障がい者スポーツは大したことないと思っていたそうだが、車いすバスケットボールを始めたときは、全くシュートが入らないなど、その難しさも実感。それでも、得点を争うゲーム制や、残された身体能力や道具を使うことにどんどん魅了され、優勝を目指し練習を重ねると、7年後に車いすバスケットボールチームの一員として全国制覇も経験した。

車いすバスケットボール

 陸上から車いすバスケットボールまで幅広く選手として活躍してきた久保さん。現在は、シニア中心の車いすバスケットボールを楽しみながら、障がい者スポーツ指導員の実技講師としてルール指導など、障がい者スポーツの楽しさを多くの人に伝えている。

 パラスポーツの魅力について「記録や勝負などはもちろん争うが、残された身体能力で使う道具、特殊な車いすや、カーボンの義肢を使ったり、バランスをとるために義手(または義足)をつけて走ったりするところ。そういうのを見て楽しむこともできる」と話す久保さん。今後の目標については、「これからも学校などに赴いて、パラスポーツの面白さや体験談を話していきたい。障がい者やパラスポーツを自然なものとして社会に受け入れてもらえるようになれば」と思いを語り、2022年夏に開催予定の「神戸2022世界パラ陸上競技選手権大会」へ多くの関心が寄せられるよう願っていた。

パラスポーツ選手の久保秀男さん

【放送音声】

 

 

 

LINEで送る

関連記事