「市民の声で勝ち取った条例。明石の市民と街が、可決へ向かわせることができた」、兵庫県明石市の泉房穂市長が涙声で語った。
旧優生保護法(1948~1996)により障がい者らに不妊手術が強いられた問題をめぐり、明石市議会で12月21日、国の制度では対象外の配偶者と中絶被害者も含め、支援金300万円を支給する、自治体として全国初の被害者支援条例案が賛成多数で可決された。
議会閉会後、泉市長と支援者らの意見交換会に出席した聴覚障がい者の男性(89)は手話で「皆さんの支援のおかげで条例が制定されることになり本当に感激しています」と心境を伝えた。男性は同じ障がいを持つ妻(89)とともに明石市に住む。結婚して間もない61年前、妻は強制的に流産させられた。
障がいのある者は「不良な子孫」となる子どもを産んではいけないと定めた「旧優生保護法」。厚生労働省によると、1996年に母体保護法として改正されるまでの48年間で、不妊手術を受けた約2万5千人のうち、少なくとも約1万6千人は本人の同意によるものではなかったとされている。
弁護士経験のある泉市長は、夫妻から約3年前に訴訟に向けての相談を受けていたという。しかし、旧優生保護法下の強制不妊手術をめぐって全国で起こされている国家賠償訴訟は、原告にとって思うような結果になっていない。そうした中、明石市として何ができるのか、スピードが求められる中での模索が続いた。
そこでたどり着いたのが「明石市・旧優生保護法被害者等の尊厳回復及び支援に関する条例」の制定だった。条例案について市民からの意見を募るパブリックコメントは、圧倒的な支持を得たが、9月議会では市の税金を支出することを疑問視する意見も出て、いったんは否決された。泉市長は可決までの経緯を振り返り「すぐに全会一致で可決されるほど容易ではなかった。ある意味、障がい者の置かれた苦難の歴史を感じさせられた」と語った。
泉市長が4歳の時に生まれた弟は、障がいを持っていた。このことが福祉に目覚め、政治をこころざす原点となった。兵庫県は全国に先駆けて「不幸な子どもの生まれない運動(1966~1972)」を進めていた時期があった。この時期に生まれた弟は、この世に「生」を受けていなかったかも知れない。