27年目の1.17を迎える。災害列島・日本で相次ぐ自然災害と向き合い、記憶の風化を緩めるために何を伝えてゆくべきなのか、またいかにして、つらく悲しい経験を語り継ぎ、助け合い、励まし合った記憶をつないでゆくのかを考える日。震災後に生まれた世代の思いを取材した。第1回は神戸の女子大で学び、この春、社会に飛び立とうとしている2人が、生まれる前に起きた阪神・淡路大震災をどうとらえたかを伝える。
2人は1999(平成11)年生まれ。この年の2月、神戸を訪れる観光客数が震災前に戻る。5月には被災者向けに建設していた災害復興公営住宅のうち、兵庫県、神戸市などによる直接建設分の全約1万8千戸が完成した。また同月、震災で全壊し、再建工事が進められてきた神戸・三宮の神戸国際会館が全館オープン、神戸の復興のシンボルとなった。
この年の12月には神戸市の仮設住宅が解消されて「復興」の文字が明確となり、新たな世紀へバトンタッチする。震災直後のライフラインの寸断状況、倒壊した建物の数(住宅・公共施設など約69万5千か所・2006年5月19日消防庁確定)を鑑みれば、ハード面では急速に復興したかに見える。
兵庫県姫路市出身の甲南女子大学4年・山崎綾莉さん(22)は、神戸の山の手、岡本(神戸市東灘区)のキャンパスから神戸市街地をのぞみ、小学生の時に教科書で見た震災時の写真と同じ神戸なのかと疑うほど、今の神戸は人も街もキラキラしていることに驚いた。
そうした中、神戸で”揺れ”を経験したのが2018年(平成30)6月18日朝に起きた大阪府北部地震。阪急電車から降りた瞬間に地震が起き、揺れた瞬間に聴いていたアイドルグループ・乃木坂46の「シンクロニシティ」のフレーズをいまだに覚えているほど、強烈な印象だった。
その日、家族で初めて本格的に防災について話し合った。避難場所や緊急連絡先の確認と、簡易の非常持ち出し袋も作った。阪神・淡路、東日本という2つの大震災の経験から、日本中で言い尽くされている「いざという時の備え」。意識はあっても、忘れていた。災害は、その怖さを経験しないと、我が事として意識するようにはならないことも、この時痛感した。