■震災があって、この世に生を受けた
震災の翌年に生まれたことについて、東山さんの母親は、激動の日々の中で、暗闇に差すひと筋の光明だったと話す。10歳も年齢が離れた兄がいるが、両親はずっと一人っ子の家庭だと思っていたという。兄自身もずっときょうだいが欲しかったらしく、建て直すことになった自宅を設計する際に、兄自身の部屋が多少狭くなろうとも、妹の部屋のスペースを設けるなどして誕生を心待ちにしていた。
高校1年の時、古典の授業で見た平安装束の写真に惹かれ、巫女になりたいと思うようになり、地元・神戸市垂水区の海神社(わたつみじんじゃ・かいじんじゃ)で神職への第1歩を踏み出すことになる。当時高校生だった東山さんは、助勤奉仕(アルバイトとしての勤務)での採用だったが、初めて巫女装束を着た時の感動を今でも覚えている。 神職の仕事は「勤務」と言わずに「奉仕」と呼ぶ。しだいに正月や七五三、結婚式などでも奉仕するようになり、もっと深く神事に携わりたいと思うようになった。
ごく普通の一般家庭で育った東山さんが、高校を出て神職の資格を取るための養成所へ進むことに、はじめは両親から反対された。しかし「人に寄り添いたい」という気持ちの強さと、進路指導の先生の強いサポートもあり、夢を叶える第1歩を踏み出せた。今もこの仕事は最良の選択だという思いは揺るがない。
■人との繋がりがなくても…
日本で自然災害が相次ぐ中、とりわけこの2年間は新型コロナウイルスの影響で、長期の自粛生活や人と人との繋がりが隔たれる日々が今もなお続く。多くの人が心身ともに疲弊している。その中で、許されない痛ましい事件が立て続けに起き、その背景に一体何があったのかを考えるとき、東山さんは決して善悪だけの指標や物差しで測れるものではないと思うようになった。そして神職として、どんな状況に置かれていても感謝の気持ちを胸に生きてほしいと伝えることが大切だいうことに気付いた。