漠然と感謝と言っても、なかなか人には響かない。東山さんの言う感謝とは、何も身近な人に限定することではない。例えばスーパーで買う食材ひとつにも、売る人、運ぶ人、作る人など様々な人が携わっている。そして命を頂く、頂戴するという意識。また交通機関が機能しているのは、整備する人がいて、案内する人がいて、動かす人がいるからということ。きれいごとに聞こえるかも知れないが、日常生活で感謝の言葉を口に出して、ひとりひとりが思いやりの心を持って他者と接することが、人への寄り添いに通じるのではないかと思うようになった。
■命をつなぐ努力、あきらめなかった神戸
美しく整備された神戸の街を見ていると、まさか27年前にあれだけの大惨事が起きたようには思えない。その後に生まれた世代ならば、なおさら信じられない。震災の記憶が風化することはあってはならないが、一方でそれだけ復興が成功を遂げ、明るい未来が拓けたということでもあると話す。
東山さん自身が震災についての教育を受けても、あまり実感が湧かなかったのは、「ある意味幸せなことだったのかも知れない」と話す。ただ、街が破壊されて多くの命を失い、絶望の淵に立たされてもなお、街の復興に力を尽くした人、命をつなぐことをあきらめなかった人がいるから、故郷・神戸がある。そして、多くの自然災害によって失われた尊い御霊(みたま)を慰めることも、「人に寄り添う」神職として大切な役割だと思うようになった。「これからも日々大切に、私自身が皆さんにしあわせを運べるような生き方をしていきたい」。これからの人生のテーマが見えた。
京都で迎える「1.17」。新型コロナウィルスの影響で度重なる緊急事態宣言で、神戸へ帰省する機会は減った。しかし、海と山に囲まれた神戸の風景を目にすると、やはりホッとするという。だからこそ神戸の豊かな自然と洗練された街並みが、いつまでもその形のまま残ってほしいと願っている。開港から150年の神戸と、平安遷都1200年あまり、伝統や文化を重んじる京都。比較できない、それぞれの魅力がある。神戸を離れて、その良さに気付いた。そして故郷・神戸と同じく、京都の街並みや風景も、廃れることなく後世に残していけるよう守ってゆくのも使命だと感じている。
◇東山詩奈(ひがしやま・しいな)1996年9月・神戸市垂水区生まれ。兵庫県立伊川谷北高校卒業後、神職養成所(学校法人京都皇典講究所・京都國學院)へ進学、石清水八幡宮(京都府八幡市)での実習などを経て、2019年4月に車折神社(京都市右京区)に神職として奉職。