沢田研二、郷ひろみ、西城秀樹ら昭和のアイドルシーンを席巻したスターたち。彼らに共通したのは、神が与えたかのような唯一無二の“美少年ボイス”だ。若かりし日の彼らがどのような声の魅力でファンに愛されたのか、シンガーソングライター、音楽評論家の中将タカノリとシンガーソングライター、TikTokerの橋本菜津美が迫ります。
【中将タカノリ(以下「中将」)】 昭和のアイドル、スターの代表格と言えば沢田研二さん、郷ひろみさん、西城秀樹さんあたりになるかと思うんですが、リアルタイム世代はともかく、菜津美ちゃんのように若い世代にとっては彼らが若い頃どんなイメージで世間に受けとめられていたのか、わかりづらいと思います。
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 そうですね、存在を知った時にはすでにスターでお年もめされていたので…。
【中将】 彼らに共通したのは美少年であること、そして唯一無二の美少年ボイスの持ち主だったことです。みんな大人になるにつれ歌い方が変わったり声質が変わったりしていくんですが、若い頃のフェロモン全開の歌声には特筆すべきものがあると思います。切り抜いて「美少年歌謡」と呼んでもいいかもしれません。たとえば沢田研二さんの「恋は邪魔もの」(1974)……。
【橋本】 色っぽい……。
【中将】 「アッハ~ン」みたいなあえぎ声が最高ですね。当時もう20代半ばになっていた沢田さんですが、美少年から美青年への過渡期みたいな独特の中性的なフェロモンがあふれています。同性愛や少年愛嗜好の人にも人気があったというのも、うなずけます。
【橋本】 私じゃないですか(笑)。当時のお写真もいくつか見ましたけど、ファンが沼に堕(お)ちちゃいそうな魔性の美少年ですね。
【中将】 健全な明るい魅力じゃないので中毒性高いと思います。森鴎外のお嬢さんで、当時70代だった森茉莉さんも沼にハマって、沢田さんを褒めちぎるだけのエッセーを書かれたりしてますね(笑)。
沢田さんとは別の幼い美少年の魅力を発揮したのが郷さんでしょうか。例えばセカンドシングルの「小さな体験」(1972)。「ぼくだけの君で いてほしいのに」ってあたりがゾクッとしてたまんない美少年フェロモンです。