■新たなツール、これに勝るものは?
もともとNPO法人を立ち上げるなどしていた三井さんにとって、こうしたツールの活用は苦にならなかった。でも「やっぱり、オンラインだけでは不十分」という側面も見えてきた。生身の人と人が触れ合うことによる、多大な情報量と信頼関係、これに勝るものはない。
だからこそ、毎年事故現場近くをめぐる「メモリアルウォーク」、メンバーだけでもいい、一緒に歩きたかった。まん延防止等重点措置が3月末に解除されたものの、新型コロナウイルス感染者数は高止まりのまま。開催するかどうか迷いもあったが、今年(2022年)は3年ぶりに一般参加者とも時間を共有できた。
JR西日本は年間、少なくとも1回は負傷者や遺族に向けた説明会を開く。トップは代々変わるが、三井さんは直接対話を重ねる中で、正面から真摯に向き合う姿勢は感じている。さらに直接、窓口となるJR西日本の担当者も、今、何が問題で何を改善しなければならないのかを考えていることがひしひしと伝わってくる。
日航機墜落事故(1985年)で次男を亡くした美谷島邦子さん(遺族で作る「8・12連絡会」事務局長)との出会いも大きかった。日本航空、JR西日本、いずれも加害企業としての立ち位置は、非常に難しい。今年のメモリアルウォークにJR西日本の社員が3人参加した。正直、一般参加していいものかどうか、ためらいがあったようだ。問い合わせに応じた三井さんは「もちろん、お越しください」と答えた。社員にとって、霧が晴れたような思いだったかも知れない。
そこには「同じベクトルで歩んで行きましょう」という思いがあるからだ。被害者はもちろん、再発防止への思いを強め、風化をいかに緩めるかを考えて、日々を生きている。負傷者、遺族、加害企業、一般市民、マスメディアがそれぞれ同じベクトルを合わせた時に、とても大きな力になる。これは会のテーマでもある。
■向かう先はどこへ?
しかし、これも一筋縄ではいかない。時として信頼関係を失いかねない、心を痛めるニュースも耳に入ってくる。JR西日本の勤務査定、新幹線「のぞみ」台車亀裂問題…。「変わっていないのか」と思うこともある。「やはり、ベクトルは合わせられないのか」とも思う。しかし三井さんは、「人は、『ほら、またミスをした。また過ちをおかした』と責め立てて成長するのか?変化はあるのか?」とも思うようになった。福知山線脱線事故以降にも、JR西日本をめぐるさまざまな問題が浮上している。事故調査委員会のメンバーにJR西日本側が接触し、事前に事故報告書を入手して改ざんを求めた情報漏えい問題も発覚した。確かに、企業としてのあり方に不信感を抱かせる出来事が多かったのも事実だ。
それを踏まえたうえで「今回はこの点を改善した、次はここをクリアしてゆく、そうした見方をすることによって新しい関係ができると信じたい」と考えるようになった。「どういう点がおかしいのか、より良くして行こうとするものを、何が阻んでいるのか」を丁寧にひも解き、伝えるという、小さなプロセスの積み重ねが重要なのだと思うようになった。