■「風化」と「記憶」のはざまで
三井さんはいつも、この事故について「風化を緩めない」と表現する。風化させない、という言い方は強制的になり、ややもすると相手を委縮させてしまうと考えるからだ。
数年ぶりに、メモリアルウォークに参加した女性がいた。三井さんは「いつでも帰れる、実家のようなところだと思ってね」とだけ伝えた。この女性は3両目に乗り全身打撲、あの惨状の中、自分が生き残ったことへの罪悪感も強かった。PTSD(心的外傷後ストレス障害)にも悩まされた。今では2人の子どもに恵まれ、すこし気持ちに余裕が出てきたのか、ウォークイベントに参加して三井さんと歩きながら「子どもたちへ、どのようにこの事故を伝えて行こうかな」とつぶやいた。
コース途中には福知山線脱線事故の慰霊施設「祈りの杜」があり、事故当時の様子を伝える展示室がある。当時の光景がよみがえる、生々しい画像を見て、女性はフラッシュバックに襲われた。しかし、それでも子どもたちへ伝えようとする気持ちに三井さんは強さを感じた。「焦らなくていいよ。今日、子どもたちと一緒に来たことだけでもいいじゃない」。これだけでも風化の速度を緩めない、と感じている。お仕着せだったり、単に同情を誘うだけではなく、漠然とでもいい、「伝えたい」という何気ない気持ちが波紋のように広がることが大事だと力を込める。
■気持ちつないで200回
そうした気持ちで17年間、毎月1回心をつないできた「語り合い、分かち合いの集い」が、2022年6月に200回を迎える(集いは事故から約1か月後の2005年6月にスタート)。この17年間、何があって、どんなことを感じて、世間に何を問うのか積み重ねた。初期には30~50人が参加していたが、コロナ禍ということもあり、現在では10人を切ることもある。