【高道】 中将さん、いいこと言うね。音楽って結局は感覚のものだから定義って難しいんだよね。日本のミュージシャンだと本人たちが「ロックだ」と言っていても「ほとんど歌謡曲じゃないかな?」と思うことが多々あるけど、フォーク演歌もそんな微妙なところにある言葉だよね。
【中将】 高道さんがデビューした1977年前後は多くのフォーク演歌がヒットしましたよね。たとえばチャゲ&飛鳥(CHAGE and ASKA)の「万里の河」(1980)。歌詞のアジア情緒や表拍にアクセントのある歌い方、ASKAさんとCHAGEさんがアコースティックギターをかき鳴らしながら歌うというスタイルなど、絶妙にフォークと演歌の中間をとらえていると思います。
【橋本】 これがフォーク演歌なんですね!
【高道】 メロディーが演歌っぽいよね。ただ、この頃はまだASKAさんの歌い方にクセが少ないですね。今ほど「ンァ~♪」みたいになってない(笑)。
【中将】 当時、高道さんはチャゲ&飛鳥をどのように感じていましたか?
【高道】 あまり一緒に仕事した記憶はないんだけど、レコード会社が同じでした。同じデュオのスタイルだし、音楽的にも少し通じるところがあったと思う。「いいグループが出たな」と思いましたよ。
【中将】 狩人もポップスでありながら少し演歌、歌謡曲的な路線でしたね。特にデビュー曲の「あずさ2号」(1977)はフォーク演歌と言っていいスタイルの楽曲だと思いますが、初めてこの曲を手渡された時、どのように感じましたか?
【高道】 発売後しばらくするまで僕はこの曲の「8時ちょうどのあずさ2号で」という歌詞を夜の8時のことだと勘違いしていました(笑)。当時まだ16歳だったからね。男女が別れる時間なら夜8時くらいだろうと思い込んでしまってたんですね。
まあ、それは余談だけど、そのときはあまり演歌っぽさというのは感じませんでしたね。あれほどの大ヒットになるとは思ってもみなかったけど、ただただ「いい曲だな。これは売れるな」と。うれしくって、自分でレコード屋さんに買いに行った唯一の自分の曲です。
【中将】 プロデューサー的存在だった都倉俊一さんはどんな方向性で狩人を売り出そうとしていたのでしょうか?