ザ・リンド&リンダースはデビュー前に「ナンバ一番」という大阪のジャズ喫茶によく出演していたのですが、そこで加賀さんはファニーズ(のちの「ザ・タイガース」)のボーカルだった沢田研二さんと人気を二分する存在だったそうです。僕が知り合ったのは晩年だったのでもう50代後半になっておられましたが、それでもハンサムでオーラのある人でした。
そんな加賀さんのデビュー曲は昭和の文豪・寺山修司さんが作詞を手掛けた「ギター子守唄」(1967)。
【橋本】 えっ! グループサウンズなのにデビュー曲はめちゃくちゃ子守歌調じゃないですか!? 売れたんでしょうか?
【中将】 当時の『ミュージック・ライフ』(シンコーミュージック)のヒットランキングにも登場しているのでけっこう売れたようです。関西での人気が大きかったようですが、インターネットで調べる限り、当時この曲が好きだったという人は全国にいるようですね。
当時としてもこのスタイルはちょっと異色だったと思うんですが、逆にインパクトがあったのかな。加賀さんのルックスやサブカルチャーの旗手だった寺山修司さんが作詞したというのも大きいんじゃないでしょうか。
【橋本】 なるほど~! ちなみにグループサウンズというのは現代のバンドと何が違うんでしょうか?
【中将】 当時、ビートルズやローリング・ストーンズに影響された若者たちが結成したバンドを「グループサウンズ」と呼んだわけです。初めはザ・スパイダースやジャッキー吉川とブルー・コメッツのような実力派のバンドが中心だったんですが、次第に10代を中心とした若いバンドが増え、アイドル化していきました。加賀さんたちザ・リンド&リンダースも演奏は本格的でしたが、そういった流れのなかで出てきたバンドだったです。