実際に大好きだったのでいろいろ話をしていると「僕、加賀さんのバックでサックス吹いてるねん。紹介してあげるから今度、遊びにおいでや」とお誘いいただいて、加賀さんが拠点にしていたSUNSET2117(大阪市大正区)に会いに行ったんですね。
【橋本】 すごい出会いですね! 運命的! 実際に会ってみていかがでしたか?
【中将】 加賀さんは僕より40歳くらい年上なんだけど、全然上から目線じゃなかったんです。まるで友だちみたいなノリで接してくれる人で。なぜか気に入ってもらえて、よくお酒飲みに行ったりしました。当時はそこまで大事に思ってなかったんだけど、僕の誕生パーティーにシャンパンを差し入れしてくれたときの写真が残っているんです。
決して裕福な人じゃなかったのに、わざわざ高いシャンパン買ってきてくれるなんてね……今思えば胸が熱くなります。
【橋本】 素敵な人だったんですね……。
【中将】 初めてラジオ番組やギャラの出るステージ……いわゆるプロの仕事をいただいたのも加賀さんでした。ほんと、僕のキャリアは加賀さん抜きには語れません。大恩人なんです。
【橋本】 うわ~それって私からしたら中将さんですよ(笑)。
【中将】 僕は菜津美ちゃんにそんなに大したことはしてあげれてませんが、死んだらお葬式くらいは来てください(笑)。
さて、そんな感じで一世風靡した加賀さんだったんですが、グループサウンズブームは2、3年で終わってしまい、ザ・リンド&リンダースも1970年には解散状態になってしまいます。そこで加賀さんは当時、グループサウンズにかわり新たな音楽の潮流となっていたニューロックに舵を切り、「加賀テツヤとマッシュルーム」というバンドを結成します。当時の音楽性は「神の涙」(1971)という曲によく出ていると思います。