関西のGSシーンで沢田研二と肩を並べた人気者…ロック黎明期にインパクトを残した不遇のスター・加賀テツヤを語る | ラジトピ ラジオ関西トピックス

関西のGSシーンで沢田研二と肩を並べた人気者…ロック黎明期にインパクトを残した不遇のスター・加賀テツヤを語る

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マッシュルーム時代の加賀テツヤ。1971年12月、島之内教会で開催された「Rock the continue」にて(水谷紀久雄撮影)

【橋本】 ザ・リンド&リンダースとは全然違う音楽性ですね! 楽曲自体もグループサウンズ的なものと違って、なんだか不思議な展開に感じました。

【中将】 そうですね。「ジェスロ・タル」とか当時の洋楽ロックに影響されていたというのもありますし、歌謡スターではなくロックミュージシャンとして評価されたかったんだと思います。

 ですが当時から加賀さんの薬物好きが本格的になってしまい、それが活動に暗雲をもたらします。グループ名もレコードには「加賀テツヤとマッシュルーム」とクレジットされているんですが、正式名称は「加賀テツヤとマジックマッシュルーム」でした。

【橋本】 うわ~それはダメだよ(笑)。

【中将】 一応弁護しておくと、当時マジックマッシュルームはまだ合法だったんです(笑)。まぁ、加賀さんはザ・リンド&リンダース時代から事務所の社長にLSDを渡されて飲んでいたそうなので完全アウトですが……。

【橋本】 えっ!? 事務所の社長に?

【中将】 僕は加賀さんや関係者の方からそう聞かされました。当時、アメリカでサイケミュージックなど薬物の影響を受けた音楽が流行していたので、社長が「おまえ飲んでみろ!」と。変わり者で有名な社長だったということもありますが、まだまだ裏ではそういうことがまかり通る時代だったんですね……。

【橋本】 事務所公認の薬物って今では考えられないですね……。

【中将】 まあ世間では普通にアウトなので、それにハマった加賀さんは70年代に大麻所持で逮捕されてしまい、追われるようにアメリカに移住します。ロサンゼルスで8年、ニューヨークで7年過ごしてようやく日本に帰って来て、それからまた捕まって……僕と知り合った頃は体調のせいもあってもうやってなかったんですが、この趣味さえなければ加賀さんはもっと活躍の機会があって長生きされたかと思うと悔やまれますね。


中将タカノリ 橋本菜津美の 昭和卍パラダイス | ラジオ関西 | 2022/04/30/土 25:30-26:00

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