コロナ禍で講談の高座はキャンセルが続いた分、自分を見つめ直す時間が増えた神田さん。東京在住だったが、コロナ感染拡大間近となる2020年2月に家族とともに山口県へ移住。東京からの目線ではなく、別の場所から見る目も持ったという。「例えば戊辰戦争で見れば、これまでは徳川幕府側に立った見方で、新政府軍が江戸へ乗り込んできた、というイメージがあったが、歴史上の人物は見る角度、見る場所によって善人にも悪人にもなる。戊辰戦争絵巻は、あくまでも絵巻。書物でない分、絵は史実通り、客観的に描かれている。勝った側の物語としてとらえるのではなく、戦(いくさ)は勝った方にも負けた方にも、犠牲者的な側面がある」と話した。
歴史を読み聞かせる講談師として、入門から15年を経た2014年に真打になり、レパートリーは古典から新作まで幅広い。コロナと向き合う時代、表現者としての今後の生きざまを考え、行き着いた答えは「講談師は思想めいたことは話さず、お客様を楽しませることが一番と考えていたが、多少は思いや考えを散りばめたい。着物を着て高座でしゃべっていればいいのではなく、歴史をステレオタイプではなく、違う角度で見たい」。講談の締めは「私、多少は言わせてもらうよ」という自身の気持ちから飛び出した言葉だった。
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2022年春、金堂で白い法衣を着た僧侶がバイオリンを奏でていた。ロシアのウクライナ軍事侵攻を意識したわけではないが、ジョンレノンの「イマジン」の演奏を終え、「人間はとかく自分の考えだけで突き進みがち。相手を思いやる”想像力”の欠如が誤解や争いを生む」と説くのは仁和寺の布教師、大原英揮(えいき)さん。
2016年からこの場所でバイオリンを演奏しているが、2020年の春、全国で緊急事態宣言が出され、外出自粛によるストレスを和らげてもらおうと仁和寺が公式ツイッターに投稿したところ、約500万回再生されたという。
岡山県倉敷市の音楽一家に生まれた大原さんは3歳からバイオリンを始め、国立音楽大学を出て僧侶になった。満開の御室桜をめでることができた、そのめぐり合わせに「流れゆく時間はみな同じだけ与えられている。時計の針が動くたびに、右から左へ風が吹き抜けて行くのも同じ。だからこそ、この一瞬の出会いを大切に」と話す。
50代の女性グループは、3年ぶりに満開の桜にめぐり合うことができた。去年、一昨年と外出自粛の春だった。「これまでメールやLINE(ライン)でしか連絡を取り合えず、コロナ禍で疎遠になった人もいる中、今年は3年ぶりに誘い合って来た仲間が、本当のつながりが持てる者同士です」と微笑んだ。
鼻が低いのと、花の背丈が低いのをかけた御室桜は「お多福桜」とも呼ばれる。「京都では昔から、『鼻(花)は低くても人が好く』って歌いますけど、本当に桜が私たちの目線まで下りてくるんですね」。
ためらいつつ、久々に果たした春の義理。心おきなく果たせる日はきっと来る。