兵庫県明石市で2001年に開かれた「市民夏まつり・花火大会」の見物客11人が死亡、247人が重軽傷を負ったJR朝霧駅の歩道橋事故から21日、21年を迎えた。
この日に合わせて、遺族ら有志が手記や事故の記録をまとめた「明石歩道橋事故 再発防止を願って~隠された真相 諦めなかった遺族たちと弁護団の闘いの記録」を出版、発売する。
この事故と、得た教訓を後世に記録を残したいという遺族と弁護団の思いから出版が計画され、遺族らの手記だけでなく、事故当時の状況や、日本で初めて強制起訴となった刑事裁判への経緯など膨大な記録が記されている。事故で母親(当時75歳)を失った白井義道さんは、「私たちの願いである『真相究明と再発防止』につながるものを残したかった。単に遺族らの手記だけを記載して“ただ悲しいもの”にしたくなかった」と思いを語る。
遺族らは「もう二度と同じ悲しみに苦しむ家族が生まれないように」と願い、再発防止に取り組むことを課題に、21年間を過ごしてきた。刑事裁判では、非常に複雑な経緯をたどる。業務上過失致死傷容疑で書類送検された警備関係者12人のうち、当時の明石警察署の地域官(警視・現場責任者)や警備会社の担当者、明石市職員ら計5人が、2002年12月に在宅起訴され、有罪判決が確定した。
しかし明石警察署の署長・副署長については不起訴処分となったため、遺族らは検察審査会へ申し立て、起訴相当との議決が下される。これを受け神戸地検は再捜査するも不起訴に。この流れは繰り返され、2009年9月までに検察審査会の起訴相当議決は3回、神戸地検の不起訴処分は4回にのぼった。(2007年、署長は死亡)
しかし2010年1月、改正検察審査会法に基づき、検察審査会が副署長に対する起訴議決(4回目)を行い、元副署長は業務上過失致死傷罪で強制的に起訴されることになった。「同じ事件について2回、起訴相当と議決された場合には、強制的に起訴される」とされたためだ。全国初の”強制起訴”となったが、神戸地裁は元副署長について、事故に対する具体的な予見可能性はないなどと判断、さらに時効を理由に『免訴』(事実上の無罪)判決を言い渡し、確定した。
■「命を守る義務、怠った警察の責任は?」