照屋さんは「今では、インスタグラムやツイッターなどSNSが主流。私たちの世代は、名前は聞くがそうしたものに触れることはない。(国際報道を見聞きする限りでは)ただロシアでは、国民がさまざまな情報に対して自由にアクセスすることを防ぐため、多くのSNSを制限したと聞く。さらに『フェイクニュース(誤った情報)』を発信して世論を操作したのではないか」と、太平洋戦争時の日本と似ていると指摘した。
そして「ただ当時と異なる点は、当時の日本は、国としてまだまだ貧しかったが、ロシアは広大な国土と豊富な資源がありながら、まだウクライナまで手に入れようとしている。やはり、プーチン(大統領)が、ソビエトという幻影を見ていたから、この悲劇(ウクライナ侵攻)が始まったのではないか。
深刻なのは、ロシア国内でフェイクニュースがはびこっていることを利用して、(ロシアにとって)都合が悪いことは逆に『フェイクニュース』としてうやむやにしているような印象を受ける。ロシア国民のプーチン支持のコメントなどを見れば、『自国は正しい』と思い込まされているような印象を受けた」とみている。
日本に住むウクライナ人は、自国への軍事侵攻直後に指摘した。「主にテレビなどメディア報道は、プーチン大統領の考えをそのままロシア国民へ発信するプロパガンダと化した。ロシア国民は、そこに疑いを持つこともない」と怒りを隠さなかった。
■「戦争に負けるとは、こういうことなのか」
照屋さんにとって2022年は、自らのルーツである沖縄の本土返還50年という特別な年でもある。祖父の代に沖縄・首里(現在の那覇市東部・旧首里市)から関西に移り住んだ。沖縄で生活した経験はないが、返還直後の1972(昭和47)年に“ふるさと”へ足を踏み入れた。
「首里城のすぐ近くが住まいだった。まだ『B円』という、アメリカ軍占領下の沖縄で、通貨として流通したアメリカ軍発行の軍票を見て驚いた。