《太平洋戦争・終戦77年》廃墟を前に「戦争、いつの世も“フェイク”に惑わされ」核の脅威、沖縄返還…この夏に思う 照屋盛喜さん | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《太平洋戦争・終戦77年》廃墟を前に「戦争、いつの世も“フェイク”に惑わされ」核の脅威、沖縄返還…この夏に思う 照屋盛喜さん

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 しかも車は右側通行(※のちに左側通行へ変更される。いわゆる「730」)。本土に復帰した祝賀ムードを感じながら、「敗戦国としての日本、占領されたオキナワ」の姿を見たという。

730以前、車両が右側通行していた那覇市・国際通り<※画像提供・沖縄県公文書館>
「人は右、車は左」人々の意識がオキナワから沖縄に1978(昭和53)年7月30日<※画像提供・沖縄県公文書館>

 今も思うのは「祖父は生活の豊かさを求めて、沖縄から関西へやって来た。でも生まれ故郷を捨てたんじゃない。自然豊かな沖縄は観光分野で成長したたが、経済そのものはアメリカ軍基地に大きく依存した。裏を返せば、戦争に負け、何も発言することが出来なかったのかも知れない」と寂しそうな表情を見せた。

730は沖縄県の日本復帰を象徴的に示す戦後の一大プロジェクトに<※画像提供・那覇市歴史博物館>

 しかし沖縄県の玉城デニー知事は本土返還50年を迎えた2022年5月、『アメリカ軍基地の跡地利用で雇用や経済に非常に高い効果が実現している』と発言している。振興が進むにつれてアメリカ軍に依存した経済構造から抜け出しつつあるというのだ。
 照屋さんは「知事の発言通りになれば、沖縄はかつての琉球王国のような、鮮やかな花々と、青く透き通った海に囲まれた姿を取り戻せるかもしれない。しかし、そこへ至るまでの道のりは容易ではない。戦争に負ける、ということは、真の復興までに相当な苦労と時間がかかるということ」と訴える。

■改めて感じる「核の恐ろしさ」~シェアすることで生じる責任

 2022年夏、照屋さんは改めて「核」の恐ろしさも感じている。ロシアによるウクライナ侵攻、さらに台湾への圧力とも威嚇とも受け取れる中国の軍事演習…
「核兵器はいかなる理由があろうとも、保有してはいけない。アメリカ、北朝鮮、インド、中国、そしてロシアなどが保有する現実。日本でも『相手国からの攻撃を回避するために核兵器の保有が必要』とする意見もあるが、いかなる場合も核は必要がない。あまりにも代償が大きすぎる。恐ろしい空襲を体験したからこそ言える」と力を込めた。
 核兵器を共同運用する「ニュークリア・シェアリング(核兵器の共有)」についても照屋さんは、「日本は責任も共有しなければならないことになる。そうなると、日本で核を使用する決断を誰ができるのか」と考える。

 照屋さんは終戦前日、8月14日に開かれた京橋駅慰霊祭で「日本は自由で平和な世の中になりました。今の日本を見て、安心してお休み下さい」と亡くなった方々に語り掛けていたが、最近変わってきた。
「子どもたちが心底から笑って暮らせるように、ダメなものはダメ、おかしいことはおかしいと声を上げることができる社会にしたい。大切なのは、偽りを見抜く知識を身に着ける教育。今のロシアと、太平洋戦争時の日本をみれば、戦争ほど情報をかく乱させ、人々の心をもてあそぶものはないのだから」と話した。

「”太閤さん(大阪城天守閣)”は輝いているが、濠をはさんでひっそりたたずむのが砲兵工廠跡」そのはざまに照屋さん
1919年(大正8)に完成、戦後は国の庁舎、大阪大学工学部の校舎、自衛隊地方連絡部庁舎としても使われた

 照屋さんは「太平洋戦争も、沖縄返還も昭和の出来事。”昭和はどんどん遠くなりにけり”とでも言おうか。記録は遠いものになっているが、記憶は裏切らない」と訴えかける。
 そして「ロシアによるウクライナ軍事侵攻は令和に起きた。今の子どもたちにとって、はるか昔の歴史物語ではなく、いつ再燃してもおかしくないことだと、生ある限り語り続けたい」と前を向く。

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