《太平洋戦争・終戦77年》廃墟を前に「戦争、いつの世も“フェイク”に惑わされ」核の脅威、沖縄返還…この夏に思う 照屋盛喜さん | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《太平洋戦争・終戦77年》廃墟を前に「戦争、いつの世も“フェイク”に惑わされ」核の脅威、沖縄返還…この夏に思う 照屋盛喜さん

LINEで送る

この記事の写真を見る(26枚)

終戦を12歳で迎えた照屋盛喜さん「空襲直後に黒焦げの遺体を運んだ、あの感覚は忘れられない」
「これからも、この街で語り継ぎたい “生”ある限り」大阪城・鉄筋門跡を背に京橋を渡る

・・・・・・・・・・・・・・・・

※沖縄が本土に復帰して6年後の1978年7月30日、それまで沖縄県内の道路ではアメリカ統治下で車の進行方向が「右側通行」だったが、一夜にして全く逆の「左側通行」に変更された。周知するためのキャンペーン名称として、実施日から「730(ナナサンマル)」と呼ばれ、実施後はその変更そのもの指す通称となった。

LINEで送る

関連記事