沢田研二、萩原健一、堺正章ら生んだグループサウンズブームが60’s音楽シーンに与えた衝撃と衰退の原因とは | ラジトピ ラジオ関西トピックス

沢田研二、萩原健一、堺正章ら生んだグループサウンズブームが60’s音楽シーンに与えた衝撃と衰退の原因とは

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 1960年代半ば、ビートルズやR&Bの影響を受けた若者たちによって巻き起こされた空前のバンドブーム「グループサウンズ」。そのグループサウンズが当時の音楽シーンに与えた衝撃とわずか数年で衰退の原因、そして後の世代に与えた影響について、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が分析します。

1960年代後半の音楽シーンに強烈なインパクトを残したグループサウンズとは。写真は関西を拠点に全国的人気を博したザ・リンド&リンダースの加賀テツヤさん(撮影・水谷紀久雄)

【中将タカノリ(以下「中将」)】 今回のテーマはグループサウンズ。1960年代の日本で花開いた空前のバンドブームの始まりから終わりまでを紹介していきたいと思います。

【橋本菜津美(以下「橋本」)】 この番組(ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス」)が始まってからいろんなグループサウンズを聴かせてもらいましたが、まだまだ知らないことだらけです。

【中将】 僕も世代でいうと完全にリアルタイムじゃないんだけど、若い頃、ザ・リンド&リンダースの加賀テツヤさんにお世話になったおかげでいろんな方とご一緒させていただきました。ご恩に報いるためにも菜津美ちゃんのような若い世代の人たちにグループサウンズの記憶と魅力を伝えていきたいですね。

 さて、グループサウンズの始まりについてですが、1960年代半ばの日本ではザ・ベンチャーズが流行して、インストのエレキバンドが多数登場します。直後にザ・ビートルズも流行し、「やっぱり歌もあったほうがええんちゃうか」と、既存のエレキブームを飲み込むような形でさらに大きなグループサウンズブームに成長します。多くの若者がビートルズやザ・ローリングストーンズのようなバンドスタイルを模倣し、次第にオリジナリティーを発揮していきました。

【橋本】 当時、最先端の音楽を日本でも敏感にキャッチしていたんですね。

【中将】 はい。なかでもザ・スパイダースのかまやつひろしさんは、ビートルズやストーンズの表面的な特徴だけでなく、音楽性の根源にあるロックなフィーリングをもつかもうと試行錯誤しました。1965年5月にリリースした「フリフリ」は初めてレコーディングされたグループサウンズと言われてますが、「あたまにきたからエレキひこうぜ」と、歌詞といいリズムといい、パンキッシュ、ダンサブルで斬新の一言です。当時流行っていたモンキーダンスも意識しています。

【橋本】 モンキーダンスってなんですか!?

【中将】 ツイストの亜流みたいなもんですが、リズムにあわせてお猿さんみたいに交互に手を上げて踊るんです。今でもグループサウンズや60'sのマニアックなクラブイベントに行くと踊ってる人いますね。

【橋本】 へぇ~一度のぞいてみたいですね!

【中将】 ぜひ一度行ってみましょう!

 ザ・スパイダースの次にグループサウンズの旗手として注目されたのはジャッキー吉川とブルー・コメッツでした。ボーカルと作曲を担当した井上忠夫(後の井上大輔)さんはロックをより日本的に解釈しようと試みます。1967年3月にリリースした「ブルー・シャトウ」なんていわゆる”ヨナ抜き音階”で従来の歌謡曲のメロディーと変わりませんし、「森と泉にかこまれて……」という歌詞の世界観もおとぎ話みたいでロックみゼロです。

中将タカノリ 橋本菜津美の昭和卍パラダイス | ラジオ関西 | 2022/08/28/日 27:00-27:30

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