現代のJ-POPから失われてしまった歌詞の魅力とは? ちあきなおみの「喝采」、山口百恵の「いい日旅立ち」、さだまさしの「案山子」……1970年代、1980年代の昭和歌謡が持っていた文学性と商業性の絶妙なバランス感について、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が解説します。
【中将タカノリ(以下「中将」)】 菜津美ちゃんは平成生まれじゃないですか。聴く音楽も平成や令和の曲が多いと思うんですが、最近の曲の歌詞ってどう思いますか?
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 この番組(※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』)が始まってから昭和の曲も聴くようになりましたが、やっぱり中心は平成ですよね。青春時代に聴いた曲とかは歌詞にも思い入れがあるものが多いんですが……。
【中将】 平成、令和の歌詞にももちろんいいものがあると思いますが、単なる言葉の羅列や中二病のブログみたいになってるのが多すぎませんか?
【橋本】 そ……そんなことないと思うんですけどね(笑)。
【中将】 僕はたまたま1970年代や1980年代の音楽から入ったんですが、昭和歌謡の歌詞って、もはや文学だと思うんですよ。情緒があって、聴き手が想像できる余白がある。それに比べると最近の平均的な歌詞の水準って「どうしちゃったの?」ってレベルです。西野カナちゃんの「トリセツ」(2015)みたいな……あれは意図的な戦略だと思うけど、語りすぎの歌詞が多すぎる気がします。「そこまで言わんでもよろしい」って思っちゃう。
日本の歌詞のルーツって「万葉集」「古今和歌集」のような和歌なんですが、戦後になって字数のボリュームは年々増加する傾向にあります。西洋的なリズムに対応するためだとかプロの作詞家が減少してるとかいろいろ理由はあるんですが、1970年代、1980年代にはせいぜい300字から400字だったものが、2010年頃には600字、700字くらいになっている。結果的に「5・7・5」みたいな日本語として気持ちいい語感が失われ、ブログの駄文みたいなしつこい歌詞が増えてしまってるわけです。
【橋本】 な、なるほど……。
【中将】 というわけで今回は文学的な魅力あふれる昭和の名曲たちを紹介していきたいと思います。まずはちあきなおみさんの「喝采」(1972)。
【橋本】 たしかにこれは文学やわ……(笑)。私も大好きな曲です。たった数分の曲なのにドラマや映画を観てるようなストーリーのボリューム感がありますよね。こまごまと説明してるわけじゃないから、かえって聴く人の経験や背景と結びついて引き込まれてゆくというか……。
【中将】 こういうのが文学作品に必要な「余白」なんですよね。この歌詞は作詞を手がけた吉田旺(よしだ・おう)さんが、自身が上京した際の思い出を元にしたものだそうですが、単なる私的体験のストーリーじゃなく多くの人に訴えかける商業作品に昇華できているのがすごいところです。当時の作詞家は吉田さんや阿久悠さんをはじめ広告代理店出身の方が多いんですが、みなさん言葉選び一つにしても文学性と商業性を両立させるセンスが高いと思います。
【橋本】 1曲目からけっこうやられてますが、お次はどんな曲が聴けるんでしょうか?
【中将】 お次は山口百恵さんの「いい日旅立ち」(1978)なんていかがでしょうか。