130年を越えて、女性に寄り添う「お守り」がある。
江戸時代、1631(寛永8)年から紀州・粉河(現在の和歌山県紀の川市)で、代々薬種商を営む家系に生まれた桃谷政次郎氏が、東京帝国大で学び、ニキビに悩む妻のために「にきびとり美顔水」を開発した。
そして1885(明治18)年、桃谷順天館を創業する。当初、商品化するつもりはなかった「にきびとり美顔水」。しかし妻が商品化を懇願し、西洋医学を取り入れた処方が先進的で、多くの女性から支持され、爆発的にヒットしたという。のちに会社の拠点は大阪に移る。
■祖母から母、そして娘へ…3代にわたり受け継がれるもの
代表的な商品が1936(昭和11)年に発売の「明色アストリンゼン」。弱酸性化粧品の先駆けとなった。西洋医学を用いた弱酸性化粧水の先駆けとされ、バッファ効果(洗顔後、肌がアルカリ性に傾くため、それを弱酸性に戻す作用。通常、健康な肌は弱酸性に保たれている)の特許を取得した。のちにシリーズ化され、これまで祖母から母、娘の代へと受け継がれて、累計出荷個数は5億を超えた。
それまでの女性用の化粧水は、東洋医学の観点からナチュラル志向のヘチマ水や、花の露などはあったが、化学的に開発されたものは初めてだった。
■混沌とした時代に「明るい色」で輝かしく