捜査関係者によると、男は事件の数か月前に青森県内の高校を退学し、事件の発生時は同市北区の現場近くにある親族の家に身を寄せていたという。男は犯行の2日後、千葉県浦安市へ身を移した。しばらくして、愛知県内に居住することになる。10年10か月は長い。逃亡先はこれだけなのか、敏さんにはそうした疑念がある。
男は、どんな気持ちで、何をしてきたのか。家族は知っているのではないか。家族から聴き取った調書の内容が知りたい……敏さんにとって重要な“証言”、2023年2月に神戸地検から調書の閲覧が許された。1回あたりの閲覧時間には制約があり、自身のメモに書き留めるために5〜6回通った。
しかし、それで事が足りるわけではない。「果たして、本当のことを供述しているのか」。息子を失った悲しみと怒りが先に立った時期は過ぎ、冷静に、客観的に見つめる自分がいる。
敏さんは当初、2010年10月4日(事件発生)から、2021年8月4日(男の逮捕)の期間をひとつの事件としてとらえ、裁判で審理されると思っていた。
しかし、事件が起きた“あの夜”のことでしか裁かれないのか……敏さんは、逃亡期間に焦点が移れば、殺人行為そのものが薄らぎ、公判維持が難しくなることに一定の理解は示しているが、気持ちの整理はつかない。
検察幹部も、「殺人事件を起こしながら、10年10か月もの間、姿をくらませていたことは、遺族の立場なら絶対に許せないはず。ただ、逃亡中の心境などを法廷で聞けば、被告に都合の良い弁解の余地を与えてしまうことになりかねない」と話す。
殺人事件発生から長期逃亡の末に逮捕、起訴された例(※)として、1982年発生の松山・ホステス殺人事件の福田和子元受刑者(収監中の2005年に病死・逃亡期間約15年)、2007年発生の千葉・イギリス人女性英会話講師殺害事件の市橋達也受刑者(無期懲役・逃亡期間約2年7か月)が挙げられる。いずれも成人犯罪で、刑事裁判では情状面を考慮したに過ぎない。今回のように犯行当時17歳の少年が長期逃亡ののち、成人となってから逮捕されたケースは前例がないと言っていい。
裁判員裁判対象事件として、裁判官、検察官、弁護人(被告も同席する場合もある)が出席し、争点整理などを行う「公判前整理手続き」は2022年9月に始まった。
しかし、遺族も代理人弁護士も入ることができず、敏さんはもどかしい思いだった。裁判期日(日程)に関する情報も、男の2度目の精神鑑定の結果も、オンタイムで伝わってこなかった。
公判では、被害者参加制度で敏さんをはじめ、妻の正子さんと将太さんのきょうだいの計5人、家族全員が法廷に入る予定。被告人質問では、叶うかどうかはわからないが、「相手が返答に困る問いかけをしたい」と担当検事に相談するぐらい、入念に準備を進めた。男は将太さんとは面識がなかったとされるのに、「うちの将太が何をした?」「(被告自身が)いったい何をしたのかわかっているのか?」という問いに始まり、犯行動機や逃亡中の心境などを聞くことになる。